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最高裁判決

平成24年(行ヒ)第202号

判決

 当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり

 上記当事者間の福岡高等裁判所平成20年(行コ)第6号水俣病認定申請棄却処分取消、水俣病認定義務付け請求事件について、同裁判所が平成24年2月27日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は、次のとおり判決する。

 主文

 本件上告を棄却する。  上告費用は上告人らの負担とする。

 理由

 第1 事案の概要

1 亡溝口チエ(昭和52年7月1日に死亡。以下「本件申請者」という。)は、昭和49年8月1日、上告人熊本県知事(以下「上告人知事」という。)に対し、公害に係る健康被害の救済に関する特別楷置法(昭和44年法律第90号。昭和48年法律第111号により廃止。以下「救済法」という。)3条1項の規定に基づく水俣病の認定の申請(以下「本件認定申請」という。)をしたところ、上告人知事は、平成7年8月18日、本件認定申請を棄却する処分(以下「本件処分」という。)をした。
 本件は、本件申請者の子である被上告人が、上告人知事を相手に、本件処分の取消しを求めるとともに、上告人熊本県を相手に、上告人知事において、救済法3条1項に基づき、本件申請者のかかっていた疾病が水俣市及び葦北郡の区域に係る水質の汚濁の影響による水俣病である旨の認定をすることの義務付けを求める事案である。

2 原審が適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

(1) 救済措置に係る法令制定前の状況

ア 水俣湾周辺地域においては、昭和28年頃から原因不明の中枢神経疾患にり患した患者が散発的に現れていたところ、同31年5月1日、原因不明の中枢神経疾患が多発している旨の報告がチッソ株式会社(旧商号は新日本窒素肥料株式会社。以下「チッソ」という。)水俣工場附属病院の医師から水俣保健所に対してされたことによって、上記疾患が一つの特徴的な疾病として公に認知されることになり、その後、水俣病と呼ばれるようになった。

イ チッソは、水俣工場において、昭和7年頃から、有機水銀化合物(以下「有機水銀」という。)の一種であるメチル水銀化合物(以下「メチル水銀」という。)が製造過程で生成されるアセトアルデヒドの製造を姑め、同24年頃からはその製造量を増やした。当初は、同工場のアセトアルデヒド製造施設からの排水の排出先は水俣湾内にある百間港であったが、昭和33年9月、湾外の水俣川河口付近に変更され、同34年頃からは、水俣湾沿岸のみならず、その北東に位置する水俣川河口付近の住民等にも上記疾病にり患する患者が発生するようになった。
 チッソは、昭和43年5月、水俣工場におけるアセトアルデヒドの製造を中止し、これにより同工場からメチル水銀が含まれる排水が排出されることはなくなった。

ウ 国は、昭和43年9月、上記アの疾病はチッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設内で生成され工場排水に含まれて排出されたメチル水銀が原因で発生したものである旨の政府見解を発表した。

エ このようにして、上記疾病は、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造施設内で生成され同工場の排水に含まれて水俣湾や水俣川河口付近に排出されたメチル水銀が、魚介類に蓄積され、その魚介類を多量に摂取した者の体内に取り込まれて大脳、小脳等に蓄積し、神経紬胞に障害を与えることによって引き起こされる疾病であると捉えられ、その主要な症状としては、感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、言語障害等が確認されるに至っている。

(2)救済楷置に係る関係法令等の定め

ア 昭和44年に制定された救済法は、事業活動その他の人の活動に伴う相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁の影響による疾病にかかった者の健康被害の救済を図ることを目的とするものである(1条)ところ、同法2条1項は、同法において「指定地域」とは、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁が生じたため、その影響による疾病が多発している地域で政令で定めるものをいう旨規定し、同条2項は、前項の政令においては、併せて同項に規定する疾病を定めなければならない旨規定していた。
 また、救済法3条は、指定地域の全部又は一部を管轄する都道府県知事は、当該指定地域につき、前条2項の規定により定められた疾病にかかっている者について、その者の申請に基づき、公害被害者認定審査会の意見を聴いて、その者の当該疾病が当該指定地域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行う旨規定していた。
 救済法を受けて制定された公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令(昭和44年政令第319号。以下「救済法施行令」という。)1条及び別表は、同法2条1項の政令で定める地域として「熊本県の区域のうち、水俣市及び葦北郡の区域並びに鹿児島県の区域のうち、出水市の区域」を定め、同項に規定する疾病として「水俣病」を定めていた。このように救済法施行令別表に「水俣病」が定められるようになったのは、昭和44年8月に財団法人日本公衆衛生協会が厚生省から研究の委託を受けて佐々貫之を委員長として設置した公害の影響による疾病の指定に関する検討委員会(以下「佐々委員会」という。)によって、公害に係る健康被害の救済制度の確立と円滑な運用に資するため、制度の対象とする疾病の名称、続発症検査項目等の問題について検討が行われた結果、有機水銀関係について、政令に織り込む病名としては「水俣病」を採用するのが適当であること、水俣病の定義は「魚貝類に蓄積された有機水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患」とすること等の意見が取りまとめられ、かかる佐々委員会の意見を受けて、救済法施行令別表に「水俣病」が規定されるに至ったという経緯によるものであった。

イ 昭和48年に制定された公害健康被害補償法(昭和48年法律第111号。なお、同法の題名は、昭和62年法律第97号により「公害健康被害の補償等に関する法律」に改められた。以下、改正の前後を問わず「公健法」という。)が翌49年9月1日に施行されたことにより救済法は廃止された(公健法附則2条)が、公健法施行の際に救済法3条1項に基づく認定の申請をしている者に対しては、従前の例によりその認定をすることができるものとされた(公健法附則4条1項)。
 公健法は、救済法に比べて給付内容を拡充し、同法において規定された疾病に2種類のものがあることを法文上整理してその要件を各別に定めるなどしたほかは、ほぼ同法の内容を引き継ぎ、認定の効力についても、公健法の施行時までに救済法上の認定を受けた者及び公健法の施行時までにした救済法上の認定の申請に基づきそれ以後に従前の例による認定を受けた者を、政令で定めるところにより、公健法による認定を受けた者とみなす(公健法附則3条、4条2項)などするもので、救済法による救済楷置は、公健法による救済措置に連続性をもって切り替えられている。
 公健法は、事業活動その他の人の活動に伴う相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁の影響による健康被害に係る被害者等の迅速かつ公正な保護及び健康の確保を図ることを目的とするものである(1条)ところ、同法2条1項は、同法において「第一種地域」とは、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい大気の汚染が生じ、その影響による疾病(次項に規定する疾病を除く。)が多発している地域として政令で定める地域をいう旨規定し、同条2項は、同法において「第二種地域」とは、事業活動その他の人の活動に伴って相当範囲にわたる著しい犬気の汚染又は水質の汚濁が生じ、その影響により、当該大気の汚染又は水質の汚濁の原因である物質との関係が一般的に明らかであり、かつ、当該物質によらなければかかることがない疾病が多発している地域として政令で定める地域をいう旨規定し、同条3項は、前2項の政令においては、併せて前2項の疾病を定めなければならない旨規定している。そして、公害健康被害補償法施行令(昭和49年政令第295号。なお、同施行令の題名は、昭和62年政令第368号により「公害健康被害の補償等に関する法律施行令」に改められた。以下、改正の前後を問わず「公健法施行令」という。)1条及び別表第2は、公健法2条2項の政令で定める地域として「熊本県の区域のうち、水俣市及び葦北郡の区域並びに鹿児島県の区域のうち、出水市の区域」を定め、同項に規定する疾病として「水俣病」を定めている。
 公健法4条1項は、第一種地域の全部又は一部を管轄する都道府県知事は、当該第一種地域につき同法2条3項の規定により定められた疾病にかかっていると認められる者で、申請の当時当該第一種地域の区域内に住所を有し、かつ、申請の時まで引き続き当該第一種地域の区域内に住所を有した期間が一定期間以上であるなど同法4条1項1号ないし3号の要件のいずれかに該当するものの申請に基づき、当該疾病が当該第一種地域における大気の汚染の影響によるものである旨の認定を行い、この場合においては、当該疾病にかかっていると認められるかどうかについては、公害健康被害認定審査会の意見を聴かなければならない旨規定している。
 公健法4条2項は、第二種地域の全部又は一部を管轄する都道府県知事は、当該第二種地域につき同法2条3項の規定により定められた疾病にかかっていると認められる者の申請に基づき、当該疾病が当該第二種地域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行い、この場合においては、当該疾病にかかっていると認められるかどうかについては、公害健康被害認定審査会の意見を聴かなければならない旨規定している。

ウ 救済法及び救済法施行令並びに公健法及び公健法施行令(以下、併せて「救済法等」という。)における水俣病の認定に係る所轄行政庁の運用の指針については、昭和46年8月7日、認定に当たり留意すべき事項を示すものとして、各関係都道府県知事及び政令市市長に宛てて「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置置法の認定について」と題する通知(昭和46年環企保第7号環境庁事務次官通知。以下「昭和46年事務次官通知」という。)が、同52年7月1日、後天性水俣病の判断条件を取りまとめたものとして、各関係都道府県知事及び政令市市長に宛てて「後天性水俣病の判断条件について」と題する通知(昭和52年環保業第262号環境庁企画調整局環境保健部長通知。以下、同通知において示された判断条件を「昭和52年判断条件」という。)が、同53年7月3日、認定に当たり留意すべき事項を整理し再度明らかにするものとして、各関係都道府県知事及び政令市市長に宛てて「水俣病の認定に係る業務の促進について」と題する通知(昭和53年環保業第525号環境事務次官通知。以下「昭和53年事務次官通知」という。)がそれぞれ発出された。
 昭和52年判断条件は、四肢末端の感覚障害、運動失調、平衡機能障害、求心性視野狭窄、歩行障害、構音障害、筋力低下、振戦、眼球運動異常、聴力障害などの症候は、それぞれ単独では一般に非特異的であると考えられるので、水俣病であることを判断するに当たっては、高度の学識と豊富な経験に基づき総合的に検討する必要があるが、一定のばく露歴を有する者であって、@ 感覚障害があり、かつ、運動失調が認められること、A 感覚障害があり、運勣失調が疑われ、かつ、平衡機能障害あるいは両側性の求心性視野狭窄が認められること、B 感覚障害があり、両側性の求心性視野狭窄が認められ、かつ、中枢性障害を示す他の眼科又は耳鼻科の症候が認められること、C 感覚障害があり、運動失調が疑われ、かつ、その他の症候の組合せがあることから、有機水銀の影響によるものと判断される場合であることのいずれかに該当する症候の組合せがある者については、通常、その者の症候は、水俣病の範囲に含めて考えられるものであるとした。
 昭和53年事務次官通知は、水俣病の範囲に関する昭和46年事務次官通知の趣旨は、申請者が水俣病にかかっているかどうかの検討の対象とすべき全症候について、水俣病に開する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症候が水俣病の範囲に含まれるというものであるとし、昭和52年判断条件はこの趣旨を具体化及び明確化するために示されたものであり、今後は同判断条件にのっとり申請者の全症候について水俣病の範囲に含まれるかどうかを総合的に検討し判断するものとするとした。

(3)本件訴訟に至る経緯等

ア 本件申請者は、明治32年の出生以来水俣湾周辺に居住して日常的に魚介類を摂食していたところ、昭和47年頃から味覚鈍麻や手足のしびれ等を訴え、同49年8月1日、上告人知事に対し、救済法3条1項の認定の申請(本件認定申請)をしたが、同52年7月1日、死亡した。その死因は、死亡診断書上、腸閉塞、腹膜炎、腎不全と記載されていた。

イ 平成7年7月15日、熊本県公害被害者認定審査会は、本件申請者について、判断できる資料がそろっていない場合に当たる旨の答申を行った。

ウ 上告人知事は、上記答申を受けて、平成7年8月18日、有機水銀に対するばく露歴は認められるが、水俣病と判断できる資料は得られなかったとして、本件認定申請を棄却する処分(本件処分)をした。

エ 本件申請者の子である被上告人は、平成7年10月13日、環境庁長官(当時)に対し、本件処分の取消しを求めて審査請求をしたが、環境大臣は、同13年10月29日、同審査請求を棄却する裁決をした。

オ 被上告人は、平成13年12月19日、本件訴えを提起した。

第2 上告代理人青野洋士ほかの上告受理申立て理由(ただし、排除されたものを除く。)について

1 原審は、上記事実関係等の下において、救済法及び救済法施行令にいう水俣病にり患しているか否かの判断は、事実認定に属するものであり、医学的知見を含む経験則に照らして全証拠を総合検討して行うものであると判断した上、本件申請者は昭和52年判断条件には適合しないものの上記の総合検討によれば救済法及び救済法施行令にいう水俣病にり患していたものと認められ、本件処分は違法であるとして、被上告人の本件処分の取消しを求める請求及び救済法3条1項の認定をすることの義務付けを求める請求をいずれも認容すべきものとした。
 これに対し、上告人らの論旨は、@ 救済法等にいう水俣病は、一般的定説的な医学的知見からしてメチル水銀がなければそれにかかることはないものとして他の疾病と鑑別診断することができるような病像を有する疾病をいい、救済法等は、ある者が水俣病にかかっているか否かの判断を一般的定説的な知見に基づく医学的診断に委ねているのであって、このような一般的定説的な医学的知見に基づいて水俣病にかかっていると医学的に診断することの可否が専ら処分行政庁の審査の対象となり、そのような医学的な診断が得られない場合における個々の具体的な症候と原因物質との個別的な因果関係の有無の詳紬な検討まではその審査の対象となるものではない旨、また、A 本件処分が適法か否かの判断は、処分行牧庁の判断の基準とされた昭和52年判断条件に水俣病に関する医学的研究の状況や医学界における一般的定説的な医学的知見に照らして不合理な点があるか否か、熊本県公害被害者認定審査会の調査審議・判断に過誤・欠落があってこれに依拠してされた処分行政庁の判断に不合理な点があるか否かという観点からされるべきである旨をいうものである。

2 以下、救済法等にいう水俣病の意義並びにそのり患の有無に係る処分行政庁の審査及びその判断に関する裁判所の審査の在り方について検討する。

(1)ア 救済法等は、水俣病がいかなる疾病であるかについては特段の規定を置いていないところ、前記第1の2(1)エのとおり、水俣湾周辺地域において発生した疾病が、チッソ水俣工場から水俣湾や水俣川河口付近に排出されて魚介類に蓄積されたメチル水銀が、その魚介類を多量に摂取した者の体内に取り込まれて大脳、小脳等に蓄積し、神経紬胞に障害を与えることによって引き起こされるものとして捉えられたものであることに加え、救済法施行令別表を定めるに当たり参照された同(2)アの佐々委員会の意見の内容や同イのとおり救済法と公健法とは連続性を有していることに照らせば、救済法等にいう水俣病とは、魚介類に蓄積されたメチル水銀を経口摂取することにより起こる神経系疾患をいうものと解するのが相当であり、このような現に生じた発症の機序を内在する客観的事象としての水俣病と異なる内容の疾病を救済法等において水俣病と定めたと解すべき事情はうかがわれない。

イ 救済法等が定める疾病の中には、発症の原因となる特定の汚染物質が証明されていない慢性気管支炎、気管支ぜん息等のいわゆる非特異的疾患と、発症の原因とされる汚染物質との間に特異的な関係があり、その物質がなければ発症が起こり得ないとされている水俣病、イタイイタイ病等のいわゆる特異的疾患があるところ、前記第1の2(2)ア及びイのとおり救済法と連続性を有する法律として制定された公健法は、非特異的疾患については大気の汚染と疾病との間の因果関係をその機序を含めて証明することは不可能に近いことなどから、4条1項において、当該疾病に「かかっていると認められる」ことに加え、申請の当時当該第一種地域の区域内に住所を有し、かつ、申請の時まで引き続き当該第一種地域の区域内に住所を有した期間が一定期間以上であることなど類型的に当該第一種地域における大気の汚染による影響を相当程度受けていたことの徴表となる要件を定め(同項1号ないし3号)、これを満たす者の申請に基づき、当該第一種地域における犬気の汚染とかかっている疾病との間の個別的な因果関係の有無を問うことなく、当該疾病が当該第一種地域における大気の汚染の影響によるものである旨の認定を行う制度的な手当てを新たに設けるに至ったものと解される。他方、公健法は、特異的疾患については、大気の汚染又は水質の汚濁と疾病との間の因果関係をその機序を含めて証明することは、一定の困難を伴うものであるにしても本来的には可能であって、当該疾病に「かかっていると認められる」ことがこれに内在する発症の機序が認められることを含むものであることから、同条2項において、非特異的疾患のような制度的な手当てを新たに設けることはしておらず、個々の患者について、諸般の事情と関係証拠に照らして、当該第二種地域につき、当該大気の汚染又は水質の汚濁の原因である物質との関係が一般的に明らかであり、かつ、当該物質によらなければかかることがない疾病にかかっていると認められる者の申請に基づき、当該疾病が当該第二種地域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行うこととしているものと解される。
 そして、救済法においては、水俣病等の公健法において第二種地域に係る疾病として指定されたものに相当する疾病につき大気の汚染又は水質の汚濁との因果関係の認定について特段の制度的な手当ては何ら設けられていなかったのであるから、上記のような救済法と連続性を有する公健法の仕組みに照らしてみると、上記疾病については、個々の患者について、諸般の事情と関係証拠に照らして、当該指定地域につき、当該指定された疾病にかかっていると認められる者の申請に基づき、当該疾病が当該指定地域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものである旨の認定を行うこととしていたものと解するのが相当である。

ウ これらの点に関し、上告人らの論旨は、救済法等にいう水俣病の意義及びそのり患の有無に係る処分行政庁の審査の対象につき、前記1@のとおりいうが、救済法等の制定の趣旨、規定の内容等を通覧しても、上記各法令にいう水俣病の意義及びそのり患の有無に係る処分行政庁の審査の対象を前記アのような客観的事象としての水俣病及びそのり患の有無という客観的事実よりも殊更に狭義に限定して解すべき的確な法的根拠は見当たらず、個々の具体的な症候が水俣市及び葦北郡の区域において魚介類に蓄積されたメチル水銀という原因物質を経口摂取することにより起こる神経系疾患によるものであるという個別的な因果関係が諸般の事情と関係証拠によって証明され得るのであれば、当該症候を呈している申請者のかかっている疾病が水俣市及び葦北郡の区域に係る水質の汚濁の影響による特異的疾患である水俣病である旨の認定をすることが法令上妨げられるものではないというべきである。
 なお、上告人らの論旨は、水俣病が昭和52年判断条件を基準として認定されるものであることを前提として救済法等の制定後の行政上の措置による救済や水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(平成21年法律第81号)に基づく救済が構築されていることから、救済法等についてもこれらの救済と整合性のある解釈をすることが求められるとも主張するが、救済法等の体系及び規定の意味内容がその制定後に採られた行政上の措置によって変容されるものではなく、上記特別措置法の規定にも救済法等の体系及び規定の意味内容を変更する内容のものは見当たらない。

(2)また、救済法等において指定されている疾病の認定に際し、都道府県知事が、公害被害者認定審査会又は公害健康被害認定審査会の意見を聴いて申請に係る疾病が指定された地域に係る大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものであるかどうかの認定を行うことになるが、この場合において都道府県知事が行うべき検討は、大気の汚染又は水質の汚濁の影響によるものであるかどうかについて、個々の患者の病状等についての医学的判断のみならず、患者の原因物質に対するばく露歴や生活歴及び種々の疫学的な知見や調査の結果等の十分な考慮をした上で総合的に行われる必要があるというべきであるところ、救済法等にいう水俣病の認定に当たっても、上記と同様に、必要に応じた多角的、総合的な見地からの検討が求められるというべきである。
 そして、上記の認定自体は、前記(1)アのような客観的事象としての水俣病のり患の有無という現在又は過去の確定した客観的事実を確認する行為であって、この点に関する処分行政庁の判断はその裁量に委ねられるべき性質のものではないというべきであり、前記(1)ウのとおり処分行政庁の審査の対象を殊更に狭義に限定して解すべきものともいえない以上、上記のような処分行政庁の判断の適否に関する裁判所の審理及び判断は、上告人らの論旨のいうように、処分行政庁の判断の基準とされた昭和52年判断条件に水俣病に関する医学的研究の状況や医学界における一般的定説的な医学的知見に照らして不合理な点があるか否か、公害被害者認定審査会の調査審議・判断に過誤・欠落があってこれに依拠してされた処分行政庁の判断に不合理な点があるか否かといった観点から行われるべきものではなく、裁判所において、経験則に照らして個々の事案における諸般の事情と関係証拠を総合的に検討し、個々の具体的な症候と原因物質との間の個別的な因果関係の有無等を審理の対象として、申請者につき水俣病のり患の有無を個別具体的に判断すべきものと解するのが相当である。
 上記の認定に係る所轄行政庁の運用の指針としての昭和52年判断条件に定める症候の組合せが認められない四肢末端優位の感覚障害のみの水俣病が存在しないという科学的な実証はないところ、昭和52年判断条件は、水俣病にみられる各症候がそれぞれ単独では一般に非特異的であると考えられることから、水俣病であることを判断するに当たっては、総合的な検討が必要であるとした上で、上記症候の組合せが認められる場合には、通常水俣病と認められるとして個々の具体的な症侯と原因物質との間の個別的な因果関係についてそれ以上の立証の必要がないとするものであり、いわば一般的な知見を前提としての推認という形を採ることによって多くの申請について迅速かつ適切な判断を行うための基準を定めたものとしてその限度での合理性を有するものであるといえようが、他方で、上記症候の組合せが認められない場合についても、経験則に照らして諸般の事情と関係証拠を総合的に検討した上で、個々の具体的な症候と原因物質との間の個別的な因果関係の有無等に係る個別具体的な判断により水俣病と認定する余地を排除するものとはいえないというべきである。昭和53年事務次官通知が、水俣病の範囲に関する昭和46年事務次官通知の趣旨は、申請者が水俣病にかかっているかどうかの検討の対象とすべき全症候について、水俣病に関する高度の学識と豊富な経験に基づいて総合的に検討し、医学的にみて水俣病である蓋然性が高いと判断される場合には、その者の症候が水俣病の範囲に含まれるというものであるとし、昭和52年判断条件はこの趣旨を具体化及び明確化するために示されたものであるとしているのも、上記と同一の理解に立つものであると解される。

(3)救済法及び救済法施行令にいう水俣病にり患しているか否かの判断は、事実認定に属するものであり、医学的知見を含む経験則に照らして全証拠を総合検討して行うものであるとした原審の判断は、以上と同旨をいうものとして、是認することができる。論旨は採用することができない。なお、その余の上告受理申立て理由は、上告受理の決定において排除された。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 寺田 逸郎
裁判官    田原 睦夫
裁判官    岡部 喜代子
裁判官    大谷 剛彦
裁判官    大橋 正春

当事者目録
熊本市中央区水前寺6丁目18番1号
 上告人 熊本県知事 蒲島 郁夫

同所

 上告人    熊本県

 同代表者知事 蒲島 郁夫

 上記両名訴訟代理人弁護士
 柴田 憲保
 斉藤 修

同指定代理人
 青野 洋士
 角井 俊文
 小原 一人
 山本 剛
 竹田 美和子
 洛見 功輔
 小演 浩庸
 小松 義浩
 安里 光史
 山口 健一
 末廣 正男
 中山 広海
 田原 英介
 山口 喜久雄
 辻 龍一
 北口 伸一
 右田 省二
 坂本 誠也
三藤 由佳

熊本県水俣市袋1701番地
被上告人 溝口 秋生

同訴訟代理人弁護士
 山口 紀洋
 小野田 学
 大川 一夫
 田中 泰雄
 康 由美
 後藤 達哉
 佐伯 良祐

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