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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2004/03/14

チエの話 (ちえのわ ) (その2)

次回法廷
2004年5月21日午前11:00〜 熊本地裁101号法廷
予定 被告準備書面6〜8に対する反論、永野証人の再要請
 法廷後、裁判所近くで溝口さんを囲んで交流会を予定しています。

目  次
2月27日の報告
なぜ永野証人なのか

*2月27日の報告(鎌田)
 2月27日、第9回目の法廷は文字通り「口頭弁論」としての展開でした。傍聴席には水俣、熊本からの支援者が約30名。被告、熊本県側代理人は訟務検事、水俣病対策課職員ら10名。
 冒頭、山口紀洋弁護士は、被告が準備書面でいったい何を主張しているのか説明し、水俣病に対する根本的発想、姿勢を批判しつつ原告の反論を展開しました。すると訟務検事がやおら起立して、今回の書面の内容につき滔々と述べました。本音を露骨に示しています。「原告は執拗に資料収集を問題にする」が「収集できていたとしても(チエさんが)水俣病であったことをうかがわせるような事実は認められない」と延べ、長期異常な放置に関する争点を回避し、あわせてチエさんの水俣病を否定しました。
 また「仮に申請から処分まで長期間を要したのが違法であるとの理由で取り消しが認められたとしても、再処分をやり直すまでに更に時間を要するだけ」「死亡者は認定を受けても利益なし」との開き直り。
 法廷終了後の交流会で傍聴参加者各自が感想、批判を語り合いました。「水俣病、いまも続いているんだな」「患者さんが闘っている様子を肌で感じられた」と初参加の方。「ひとりの人間を”水俣病でない”と言うためにはこんなに一生懸命いうんだな」とは、この訴訟のみならず全ての水俣病訴訟、行政不服審査請求での被告=処分庁熊本県の応訴姿勢そのものです。原告・溝口さんは「行政のあり方としてこれでいいのか」。緒方正実さんは「被告の態度は罪を犯したことについての認識が全然見えてこない」。川本ミヤコさんは「とにかく患者をいじめるだけ。けれど、誰かが言い続けんば、なにも変わらん」。
 熊本県も環境省も行事等では水俣病についてあれこれもっともらしいことを言っていますが、しかしそれとは全く異なる被害者に背を向けた一面を法廷では充分に見せてくれる。
 高倉さんが「溝口さんの思いと自分たちをつないでいってほしい」と参加者に述べた通り、法廷で、またこの「チエの話」でさまざまな形で、みなさんには関わり続けていただきたい。
 裁判はおおむね提訴時と判決時に人は集まるもの。しかもテレビの法廷ドラマとは異なり、これまで互いの書面の確認のみで、せめぎあいのやりとりもなく淡々とした進行だった。にもかかわらず9回を重ねたいまも多数の、しかも裁判傍聴は初めてという学生、市民を含めての若い層の参加は嬉しく心強い。山口弁護士の挑発に被告も初めて口を開いた。ある意味で傍聴参加者それぞれにとって、生きた水俣病学習の場となっている裁判、とも思う。
*なぜ永野証人なのか(鈴村)
 2月27日の法廷では、裁判長は永野義之・元熊本県環境公害部長(1994〜95在職)の証人採用を決定しませんでした。これは2月20日すぎになって被告・熊本県が書面で私たちの要求を全面的に否定してきたためです。
 熊本県はチエさんが申請をする前の1971年に県がおこなった水俣湾周辺住民健康調査の資料(帳票に打ち出したデータ)を探し出してきました。この調査当時、まだチエさんに自覚症状(52年判断条件にあう症状)が出ていなかったことを挙げて、たとえ当時の病院カルテが残っていたとしても水俣病に関する記載はなかっただろうと主張しています。
そして「手続的瑕疵(間違い)」をもって棄却処分の取り消し(水俣病の認定)はできないのだから証人尋問も必要がない、という主張をしてきました。
 カルテの記載についての推測ならば後から何とでも言うことができますが、これは病院調査を17年間も放置していた理由にはなりません。そもそも最初は資料不足を理由に棄却をしてきたのに、被害者に不利な資料なら草の根分けても探し出す。このような県の姿勢こそ、この放置事件の主たる原因であると私たちは考えます。単なる担当職員のミスではないのです。
 このことを具体的に証明するために、永野氏の証人尋問の必要性がより高まってきました。
 県の反論は病院調査の放置について、当時の申請者数が膨大であって生存者の処分を優先したため、と一般論を述べるだけです。また未検診死亡者の扱いについては放置していたのではなく「検討課題として残されていた」とも述べています。
 しかし、チエさんの場合にどう具体的に“検討”したのかについては答えていません。
 すなわち、
(1)申請から処分まで何故21年もかかるのか。
(2)チエさんの死亡後、17年間も病院調査をしなかったのは何故か。
(3)その病院調査も廃院を確認しただけでそれ以上の追及をしなかったのは何故か。
(4)毎年、遺族原告が進捗状況について電話で問い合わせをしていたが、これにどう対応したのか。
(5)県は80年代の10年間、未検診死亡者の処分を中断していたが、それは何故か。
 これまで水俣病の認定業務は原則非公開、認定審査会の議事録も取らないという“密室”で行われてきました。その実態を知るためには実務担当者の証言を待つしかありません。  永野証人は公害部長という実務現場を把握、統括する立場にありました。また県の公害行政の方針決定に参画する立場にもありました。つまり認定業務の実質的な最高責任者と言うことができます。
永野証人が当時どのような姿勢で認定業務に臨んでいたか、前任者から何を引き継いできたのか、具体的事例を検証していく中で、この放置事件の背景には、「未検診死亡者について放置・切り捨てる県の方針」があったことを明らかにしていきます。
 チエさんに起きたことは個別偶然なことではありません。熊本県の認定申請者切り捨て政策の構造的・必然的な結果なのです。

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