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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2004/08/08

チエの話 (ちえのわ ) (その4)

次回法廷
2004年8月20日午前11:00〜 熊本地裁101号法廷
予定 永野証人の再度要請

<<法廷終了後、溝口秋生さんを囲んでの交流会を予定しています>>


目  次
読者の皆さんへ(原告・溝口秋生)
死亡後16年も放置されて棄却(Tさんの事例)
会計から(会計報告)

○読者の皆さんへ(原告・溝口秋生)

 異常な程の猛暑が続いておりますが、皆様如何お過ごしでしょうか。当地水俣も同じような暑さが続いております。暑さだけなら何とかなりますが空梅雨なので水田の水が足りなくて困っております。水が少ないので私の合鴨さんも余り動けないのです。毎日天を仰いでは雨の降るのを祈っているのです。
 何か書いたらと春日の人達(編者注:行政訴訟東京事務局)に言われて、それでは何か書こうかと言ったのですが、いざ書くとなるとなかなか書けません。思いつくまま、順序は前後してでも書いてみます。
 12年前、十二指腸にポリープがあるのが発見され、8時間に及ぶ大手術。ベッドの上で考えた。食だ、食べものだと。以前有吉佐和子の複合汚染等を読んでいたのでそう思ったのかも知れない。
 翌年より合鴨放飼による無農薬米作りに挑戦する。物好きだ。○○だとだいぶ言われたらしい。自分の食べる野菜類も無農薬有機栽培です。
 私の二男(S37.8.24生)は、生まれて3日目にケイレン1ヶ月、100日位の時、ケイレン、胎児性との診断で申請したが何回再申請しても棄却、180cm、80kg位の大男が一日中何もせずテレビばかり見て、一歩も家から出られないのです。行政のやり方がどうもおかしいと思っていたのですが、そうだと思わざるを得ません。
 私の母チエは村一番の働き者で健康そのものでした。10人の健康な子を産み、現在、死んだのは交通事故と戦死です。その母が働けずボーっと庭先でよだれを流しながら座るようになったのです。そして入院死亡。7月1日の母の命日には県に電話するように決めていたのです。毎年電話しました。(編者注:行政不服審査請求でこの電話に対する対応履歴の開示を請求されて)最初は県は「数回の電話があった」と、私が強く出たのでか、次は「8回の電話があった」と。21年間毎年電話していたのに。あまりにも軽蔑した態度に思われてならない。私の母のようなケースの人が数百いるとか。行政は死亡するのを待っていたのです。死亡したら資料がないから。
 私も提訴する迄、大分考えました。毎日毎晩佛前に座り、お袋どうしよう、お袋どうしよう、と。遂にお袋が言いました。「やれ」と、Tm二男の為にも、他の人たちの為にも。そして春日の人たち、高倉さん等に相談して提訴に踏み切ったのです。私も力の限り頑張りますので、全国の皆さん力を貸して下さい。よろしくお願い致します。

*編集者より*

 溝口秋生さんは、7月5日の水俣病関西訴訟最高裁弁論に対する東京行動にも、同じく認定棄却と闘うOさんと共に駆けつけてくれました。


やはりチエさんだけではなかった!
○死亡後16年も放置されて棄却(Tさんの事例) (高倉史朗)

 6月2日付で公害健康被害補償不服審査会から裁決書が送られてきた。Tさんの審査結果だ。「本件審査請求を棄却する」、不服申し立ては敗訴した。
 Tさんは昭和50年4月に認定申請し、昭和53年3月、脳卒中らしき発作で亡くなった。熊本県がこの認定申請に答えを出したのが20年後の平成7年8月、ここから不服審査請求の争いが始まった。溝口さんと同様の「検診未了死亡者」の問題である。たどってみよう。
 「未了」と書いたが、熊本県はTさんについて検診どころか疫学調査と呼ばれる生活歴、症状の経過などの聞き取りさえ一切おこなっていない。まる3年間完全な放置状態に置かれた。Tさんが亡くなってから3ヶ月後、県は狙いすましたように疫学調査にやってくる。本人は死亡しているのだ。何が聞き取れると言うのだ。妻のTmさんは疫学調査後昭和53年6月に決定申請をおこなった。死亡した申請者の結果を出してくれという申し出だ。ここからが溝口さんでも大いに問題となる場面で、熊本県は次のように何気なく表現する。「当職は同年同月(昭和53年6月)12日付で受理した。その後、処分庁が医療機関調査を実施したところ、水俣保養院から平成6年6月21日付で資料が得られた」。
 これは棄却理由を示す「弁明書」から引いた文だが、ここにはきわめて重大な事実が隠されている。1、いつ医療機関調査をしたのか、2、医療機関はひとつだけだったのか。1の答えは平成6年6月13日、2の答えは水俣保養院、水俣市立病院、O病院、I医院だ。これらの事実は再弁明を要求して初めて明かされた。遺族が決定申請をおこなってから16年後に医療機関調査(生前通った病院のカルテ調査)がおこなわれ、4つのうち3つの病院は「カルテ保存期間経過等により回答が得られなかった」のだ。
 得られた唯一の回答では、水俣病の症状に関連した検査がなされた形跡はなく、認定審査会は「医学的判定」の項目に「判断できる資料が揃っていない」と書いて答申し、熊本県はそれを受けて「総合的にみると魚介類に蓄積された有機水銀を経口摂取したことによって生じた水俣病であると認めることはできません」と遺族に通知した。平成7年8月だ。
 この経過は溝口さんとまったく同じだ。認定申請をすると3年間なんの音沙汰もなく、死亡すると係官がひょっこり顔を出す。遺族が申請に対する答えを求めると16年後に調査が始まり、カルテの紛失を理由として棄却する。認定申請から数えれば20年以上が経過しているのだ。
 溝口さんの訴訟ではおまけもついた。「原告ら遺族の意向によっては病理解剖を行う方法もあった」、「原告においても証拠保全(カルテ収集)の方法があったことはいうまでもない」と、認定申請に関わる医学的資料は自分で集めろと言い出した。自らの怠惰が招いた不祥事の責任を申請者とその遺族におしつける破廉恥極まりない主張だ。Tさんの審理の中で、熊本県のこの主張が根拠を欠くものであることが明らかになった。まず、病理解剖ができることを県は申請者に伝えていないこと、申請者の遺族がカルテを収集しなければならないという根拠も通知もないことだ。さらに、収集の義務があったのは熊本県であることを県側代理人が確認した。
 Tさんは大正9年に水俣市月浦で生まれ、第2次大戦で銃撃により負傷、終戦後はチッソに勤めた。水俣湾を眼下にする家から歩いて数分の海岸で貝を取り、毎日の食卓には必ず魚が並んだと言う。タチ、アジ、ボラの刺身が好物でよく焼酎の肴とした。昭和51年不知火海総合調査団医学班の聞き取り調査では、手のしびれ、頭、首、肩、腰の痛み、下半身のだるさ、耳鳴り、物忘れ、めまいなどを訴えている。月浦は水俣病患者の多発地域だ。認定者だけでも約180名を数える。
 勤めの関係からも申請はしにくく遅れたが、同じくチッソに勤めながらも水俣病第一次訴訟で証言台に立ち、水俣病認定申請患者協議会の会長としても活躍したお兄さんの影響もあって申請した。その訴えを熊本県はないがしろにした。不服審査会は裁決の中で「本来的には適切な認定業務の処理とは言い難い」、「(一部の未検診死亡者に対しては昭和54年頃に集中的に医療機関調査がなされていることが)不公平であるとの遺族側の指摘を解消することはできず、熊本県は強く反省すべきである」としながらも、「検診が行われなかったことをはじめ、所要の資料の収集が遅れたことについては処分庁の反省を要するが、膨大な未処分者がいた等の当時の状況を考えれば著しく不当とまでは言えない」と熊本県の側についた。
 こんなことが許されてよいのだろうか。水俣病認定業務は被害者を救済するために行政に課せられた重大な責務である。その責務の遂行にあたってもっとも重要なことは被害申請の迅速かつ公正な処理だ。その仕事の中枢部分をさぼっておいて「忙しかったからできなかった」という言い訳を許すなら、行政が無責任者の集合体であることを許すことになる。不服審査会は大きな過ちを犯したことを知るべきだ。溝口さんの訴訟でこの過ちが追認されることを阻止しなければいけない。


○会計から(鎌田学)

 水俣病<未認定>問題に思いを寄せ、棄却取消訴訟(行政訴訟)にカンパ、傍聴など、さまざまなかたちでの応援をいただいている皆様に、同訴訟事務局・会計担当よりの報告です。
 溝口秋生氏はこの訴訟で、熊本県知事をはじめとする行政当事者、認定審査会委員ら自称「水俣病の専門家」の医学者、いたずらな反論に公金を投入する法(呆)学者らによる、意図的患者放置の責任を直截に問うています。
 1978年に御手洗鯛右氏らが提起した<第1次>棄却処分取消訴訟の、その提起に至った経緯も裁判の意義も、今も<彼ら>行政は理解の外です。
 97年控訴審判決での原告訴訟確定以降も<彼ら>の「水俣病を潰す」意志は不変、むしろ95年「和解」以降は「環境問題」にすり替え、いま「もやい直し」のスローガンのもと、商業主義的イベントとして消化していく素材にしかすぎないとみなしている様子です。加害者が「教訓」を垂れる現状です。
 私たちはこの壁を打ち破れていない無力を痛感しています。
 しかし、これからも抗いつづけていく所存です。変わらぬご支援をお願いする次第です。

<会計報告 2002/07/15〜2004/07/29>

(1)収入

繰り越し(注) 41,034円
カンパ(郵便振込手数料含む)641,000円
利子・雑収入795円
郵便振込手数料▲6,810円
*収入合計676,019円

(2)支出
弁護士交通費:(52,000×4回)208,000円
文書費(行政文書等資料請求代、コピー代) 89,813円
毛髪水銀分析・報告書作成費10,500円
通信費(チエの話(0〜3)、情宣ハガキ) 98,388円
*支出合計406,701円

(3)残金 676,019−406,701=269,318円

(注)御手洗棄却取消訴訟会計より引き継ぎ。

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