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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2004/09/22

チエの話 (ちえのわ ) (その5)

次回法廷
2004年11月12日午後13:30〜 熊本地裁101号法廷
予定 永野義之(元熊本県環境公害部長)の被告側主尋問

 私たちの永野証人採用の要求に対して、被告県側は永野氏の健康不良を理由に他の証人を立てることを主張してきました。しかしこれが否定されると、被告は証人尋問を有利に進めようと永野氏を被告側の証人として申請したため、まず被告側の主尋問が先となりました。


目  次
8月20日第11回口頭弁論の報告
溝口さん宅を訪ねました

○8月20日第11回口頭弁論の報告 (鎌田 学)

 原告席には溝口秋生さんと山口紀洋弁護士が、対する被告席には訟務検事2人と県水俣病対策課の職員ら10名が並び、傍聴席には水俣、熊本名古屋、東京からの支援者30名が着席しました。
 原告側提出の第21、22準備書面、被告側提出の第9準備書面等の確認後、山口弁護士が「主張を補足する」と具体的な論点を挙げての弁論を行い、改めて永野証人採用の必要性を強調しました。
 被告が「チエさんの認定申請後から処分を出すまで21年間も要した」「病院調査に着手するのに、チエさんの死後17年間を要した」「水俣病とは認められない。と棄却処分した」合理的理由などないこと。加え、被告が申請者の死亡後やはり16年間も病院調査を行わないまま「資料が揃っていない」との理由で棄却した別件処分の存在が6月に明らかになったこと。「これはやはり被告の方針に『未検診死亡者は放置し、資料の散逸を待つ』との明確な意図がなかったかのかどうかを明らかにしなければならない」
 さらに「被告は、原告が『処分手続の具体的経過を明確、詳細に示せ』等要求してきた求釈明に応えないできた。どころか釈明自体を原則拒否している」
 裁判長に証人申請につき聞かれた被告は「準備書面で主張しているとおり。(必要なし)」と一言述べただけでした。
 裁判長が「永野証人は採用する方向で考えております」と述べ、閉廷後に進行協議を行う旨確認し、この日の弁論は終了。

○証人採用決定
 9月16日に裁判所−原告側代理人−被告の3者を電話で結んだ進行協議で、永野証人の採用が正式決定しました。日時は表記のとおりです。
 被告・県側の尋問が先=主尋問、というのは奇異な印象を持たれるかもしれません。が、これは、原告側がどのような項目を挙げ具体的に何を突いてくるのか−いわば「不意討」の連続ともなるであろう尋問の前に、被告として従前の主張の正当性を言いつのるための一般論を、予防線として張りたい意思表明でしょう。
 9月16日付で被告側が提出した『証拠申請書』には「同証人によって、未検診死亡者の状況、本件申請者にかかる処分のみを故意に遅滞したことはないことを明らかにする」との立証趣旨が記されています。当方の主張を歪曲しつつ、しかし要するに「未処分者が膨大で、チエさん処分や病院調査の遅れは仕方なかった」との論法です。
 水俣病認定業務にかかわる、被告・県実務最高責任者の尋問で本件訴訟は、最重要局面を迎えることになりました。
 多くの方の注視、傍聴参加を訴える次第です。

○溝口さん宅を訪ねました (鈴村多賀志)

 8月28日の新作能「不知火」水俣奉納に参加した私は、翌日溝口さん宅へおじゃましました。
 袋湾を背景にした田んぼは稲が青々と育っていましたが、今年は8月末まで雨が降らず田んぼの水が不足したため、アイガモが田んぼに入らず雑草取りが大変だったとか。
 お宅では奥さんのNさんとともに迎えていただきました。今回が水俣は初めてという親子も連れだったのですが、溝口家の愛犬(ごめんなさい名前を忘れました)も4歳児の相手をしてくれました。
 さて溝口さんが今、直面しているのは水俣病認定だけではありません。その一つが農薬の空中散布の問題。せっかく無農薬で耕作をしているのにヘリコプターによる空中散布をされては、溝口さんの田んぼにも農薬はかかってしまう。「小学校も近くにあるというのに」と憤る溝口さん。抗議の意志を示すため「野の鳥をみよ、撒かず、刈らず、摘むがざるなり。しかれども天の父はかれらを養いたまえり」と新約聖書を引用したビラを電柱に貼ったそうです。
 単に声を荒げるのではなく、軽く皮肉を込めて諭す抗議のやり方は溝口さんに合ったスタイルなのかもしれません。また選挙の時には「選挙の候補者は、踏切の遮断機のようなものである。とおる前は頭をさげているが、とおってしまうとすぐ頭を上げる」(新聞から見つけたそうです)と書いたビラを玄関に貼っていたそうです。
 自慢の晩柑(ジューシーオレンジ)をたらふくいただいた後は、ミカン畑を案内してもらいました。
 遠く天草を望む山の斜面には、デコポンや晩柑(ジューシーオレンジ)の木々が青い実を枝いっぱいに付けていました。一鍬一鍬耕したというミカン畑の真ん中を、この春開業した九州新幹線が突っ切っています。この新幹線も溝口さんを悩ませる物のひとつ。新幹線が通過するときの風が畑のビニールハウスを吹き飛ばしてしまうかもしれないと言うのです。トンネルによる地下水脈の切断も心配され、実際に津奈木では井戸水が枯渇して問題となっていました。
 話をしている間にも数本の列車が通過しましたが、たった2、3輌の編成。在来線の特急が大幅に削減された今、今後水俣へ来るのには、やっぱりこれを利用するのだろうな、と私は後ろめたい思いで見送っていました。
 イノシシも盛んに出没するらしく大きな鉄かごの罠が仕掛けてありました。捕ったイノシシの肉があるから持って行くようにも進められましたが、さんざんご馳走になった後でもあり辞退して溝口宅を後にしました。
 最近、水俣を案内した親子と三里塚で稲刈りをしましたが、溝口さん宅で食べた晩柑の味が忘れられないと話していました。

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