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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2004/12/12

チエの話 (ちえのわ ) (その6)

次回法廷 永野義之(元熊本県環境公害部長)証人の原告側主尋問
2005年11月12日午後13:30〜 熊本地裁101号法廷

 先日(11/12)の被告側主尋問では、永野証人は「覚えていない」を繰り返し何ら具体的証言をしませんでした(法廷報告2頁)。この永野証人から、いかに県の患者切り捨て実態の証言を引き出すか、次回の法廷が一つの節目となります。


目  次
11月12日の法廷報告
関西訴訟最高裁判決後の状況
11.12水俣病・溝口訴訟を支える集会

11月12日の法廷報告 (平郡 真也)

 11月12日、いよいよ永野元公害部長への証人尋問の日です。
 尋問に先立ち、被告は永野証人の陳述書を提出しました(乙110号証)。それによると、永野氏は溝口チエさんの処分経過だけでなく、未検診死亡者の取扱いについても「記憶にない」「わからない」と陳述しています。被告は証拠申請書で「同証人によって未検診死亡者の状況、本件申請者にかかる処分のみを故意に遅滞したことはないことを明らかにする」と立証趣旨を述べていたのですが、この陳述はとても立証趣旨に沿うものではない。方針の変更か?被告の意図がよく読めない状態で尋問を迎えました。
 当日は午後1時を過ぎる頃、熊本地裁の中庭には、地元の熊本市はもとより水俣・大阪・京都・東京から傍聴に駆けつけた人々が集合。先頃最高裁で勝利した関西訴訟原告の姿も見られます。マスコミ関係者の数も多く、入廷する溝口さんを撮影しようと、カメラの列が待ちかまえています。
 午後1時半、開廷。永野氏が証人宣誓をしたあと、被告側代理人による主尋問が始まりました。
 公害部長在任時(平成6年4月〜同8月3日)の最重要課題は、水俣病の認定業務と和解の実現(政府解決策)だったと位置づけ、後者においては全力を注いだと歯切れが良かったのですが、こと認定業務とくに未検診死亡者の取扱になると、まったく要領を得ません。
 たとえば「病院調査の実施を定めた要項の内容は」「病院調査を進めるうえでの具体的な指示は」「1979年の長期保留者の処分以降、約10年にわたり処分を行わなかったのはなぜか」と被告代理人が尋ねると、「わからない」「おぼえていない」「何とも言えない」の繰り返しです。
 さらに、溝口チエさんの処分経過に移り、「死後17年経つまで病院調査を実施しなかったことに対する部長としての責任は」「電話1本で生前受診していた病院にカルテ保存の要請ができたはずでは」「毎年原告から電話での問い合わせがあったのでは」との質問に対しても、やはり「わからない」の証言ばかり。
 最後に、チエさんの処分への感想を求められ「個人的には、原告の心情を察するに余りある。残念だ」と小声で答えるのにとどまり、約1時間の尋問を終えました。
 すぐさま原告側代理人の山口弁護士が立ち上がり「今日の証言では立証の趣旨がまったく立証されていない。次回の当方の尋問には3時間はとってほしい」と裁判所に要請。野尻裁判長はこれを受け入れ、次回期日を来年1月14日、午後1:30〜4:30と決定。閉廷しました。

 県弁護士会館に移動し、報告集会を開催。
 まず原告の溝口さんが「永野さんは『忘れた』ばかりだが、私は忘れる訳にはいかないんだ」と語気を強め、隣席の関西訴訟原告団長の川上さんは「最高裁で勝利判決を得たが、それを実のあるものにするため、これからが大変。ようやく傍聴できてうれしい。いっしょにがんばっていこう」とエールを送ります。つづいて参加者それぞれに発言してもらいました。
 熊本学園大から多数傍聴に来てくれた学生さんの中には、裁判の傍聴は初めてという人も多く「永野さんは事の重大さをわかっているのかな」「『知らない』ではすまされない」「次回が楽しみだ」という意見が続出。
 水俣からは、患者連合の佐々木さん、相思社、ほっとはうすのスタッフ、反農連の大沢さんなど多彩な顔ぶれがそろい、激励の言葉が相次ぎました。元チッソ社員で、一次訴訟の原告側証人となった方の体験談も。
 「最後まで屈せず、闘っている患者・支援者が合流した。まさに劇的な日だ」(学園大学・花田さん)との集約どおり、支援の輪の広がりを肌身で感じる集まりでした。


○関西訴訟最高裁判決後の状況 (鎌田 学)

 チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決後、各方面の展開・動向は多岐にわたります。
 関西訴訟団が判決当日、以降に重ねる環境省、熊本県との直接交渉や要請書、申入書提出。
 政府最終解決策を受諾した水俣・新潟4団体による行政への要求行動−全水俣病被害者に対する明確な謝罪や被害実態の把握を求める、等。
 国政レベルでは、衆院予算委、同環境委での「認定基準を見直すべき」との質疑。民主党チームによる現地視察を含めた関係者からのヒアリング。社会民主党政策審議会における水俣病学習・検討。自由民主党の水俣病問題小委員会再開や公明党での小委設置。
 県政では県案「今後の水俣病対策について」のとりまとめと県議会への提出。患者団体への謝罪を伴った説明会の開催。同案をもっての環境省との協議開始。
 さらに、認定申請件数の急増。・・・にもかかわらずの制度自体の矛盾は温存され不変、の構造等々。
 矛盾の温存:県は溝口裁判において、最高裁判決後の今も“病像論”を従来通りの文言で主張・維持し続けています。いわく「専門家が作成し、医学的に正しいと追認した判断条件であり」「溝口チエはこの条件に該当しない」。
 8月の口頭弁論で裁判長に問われた際の県の回答は「最高裁判決の内容によっては主張の変更もあり得る」というものでした。
 が、県案の環境省提出にあたっての知事の文章は「水俣病の判断条件については国の所管事項であります」と述べるにとどまっています。最終処分庁としてこれまで数多の患者を棄却し保留としてきた主体として、同判断条件はどのように変更されるべきか、あるいは、司法最終判断によって廃棄されてしまったのだ、との認識は示していません。県案で対象者の位置づけは相も変わらず「メチル水銀中毒による“健康不安を抱える住民等”」です。主観の問題ではない。
 同判断条件の適用状況について一件を挙げます。10月29日、国の公害健康被害補償不服審会(大西孝夫会長)の裁決です。鹿児島県知事による認定申請棄却処分を不服とした3名の請求を棄却しました。従来通り「複数症状の組合せ」を要求する判断条件にてらしての判断です。
 潮谷熊本県知事が小池環境大臣に対し「従来と同様の形で実務を処理することは困難な状況」との中身ははいったい何なのでしょうか。かりに上記の3名が棄却処分の取消を求める行政訴訟を提起した場合、鹿児島県と国はどのような論拠をもって法廷に臨むのでしょうか。
 関西訴訟団は12月7日付環境大臣宛「要請書」で次のように主張しています。
 「国が、加害者として、水俣病問題を真の意味で全面的に解決するためには、52年判断条件を満たす患者は一握りであること、その周辺に様々な健康被害を抱えている患者群が存在することを認めることからスタートすべきです。
 これこそが、大阪高裁、最高裁が明言した重大な事実の一つです。・・中略・・国は、患者救済のためではなく、患者を切り捨てるために、『水俣病医学』を歪めてきたのです。
 国は、加害者として、『水俣病』が『メチル水銀中毒症』であるという当たり前の事実に立ち返り、メチル水銀中毒症とはいかなる病気であるかを整理するところから医学をスタートさせ、埋もれた被害者を探すことまでも視野に入れた取り組みを行わねばなりません」
 埋もれた被害者。チエさんもそうであったように、加害者が犯罪被害者に対し本人申請を要求する、審査し処分する構図は維持されたままです。現時点で熊本県認定審査会委員は不在、とはいえ訴訟は継続です。
 これまでと現時点、そして以下に数字のみ挙げた方たちの今後の課題にてらしても、溝口さんの訴訟は問題提起の正当性・普遍性を示し続けるものと思っています。
<10月9日現在の申請者受理件数>
 熊本県:146人、鹿児島県:96人。年齢は30〜80歳代。地域は、水俣、芦北、出水はじめ熊本県内各地のほか、京都、大阪、兵庫、奈良、福岡、長崎、浜松、東京等全国各地。


○11.12水俣病・溝口訴訟を支える集会 (荒谷 徹)

 弁論のおわった日の夜、6時半から熊本市の中心部花畑町の産業文化会館で「水俣病事件の今を伝える」との趣旨で集まり<水俣病・溝口訴訟を支える集会>が開かれました。

 私たち東京の事務局は裁判の準備や最低限の情宣などはなんとかこなして来たつもりですが、なにせ原告の溝口さんの住む水俣は遠く、肝心な時に頼りにならぬこともしばしば。裁判への傍聴依頼ひとつとっても通信を送るだけ、やはり地元で顔つきあわせた応援が欲しいなあと切なる思いがありました。その思いが通じたか熊本の人たちを中心に溝口支援をメインとした集まりが開かれることになり、感謝しきり。20、30人も来てくれるかなと思って会場の6階大会議室に行ったところ開始前にもう100人を越えようという状況、最終的には200人近かったのではないでしょうか。(新聞では160人と)勿論これは10月15日の関西訴訟最高裁判決とその後の事態の推移を反映したもので、集会自体にも特別報告として「関西訴訟最高裁判決」(関西訴訟原告・関西訴訟を支える会)がくみこまれています。それ故参加者の年齢層も幅広く、とくに若い世代の参加が目立ったのは嬉しい事でした。
 集会は主催者を代表して学園大の花田先生の挨拶から始まり、原田先生、関西原告団川上団長・面木さん、支える会横田さん、上告取り下げネットワーク宮澤さん、さらに集会に至る経緯や今後の活動について主催者の一人阿南さんが話しました。
 休憩をはさみ溝口訴訟が主題に、溝口秋生さんが丈夫だった母チエさんのことを訥々と語ります。もともとあまり大言壮語をしない溝口さんですが、多くの参加者を前に裁判を闘ってゆく気持ちをしっかりとのべてくれました。山口弁護士と東京の事務局より訴訟の説明、さらに現地事務局の高倉さんより、最高裁判決が認めた国の責任と水俣病像について「この機に乗じぬ手はない」と新たな運動の必要を熱く語りました。予定終了時刻を大幅にすぎてもまだまだ発言は続きます。行政不服を闘っている緒方正実さん、患者連合の佐々木清登会長、また二宮医師は元気一杯の身振りで水俣病の原因について、末梢説の間違いをとてもわかりやすく解説、満場の喝采をあびました。
 さらに私達にとっても力強い応援が。熊本で事務所をひらいている東俊裕弁護士が溝口裁判を手伝ってくれることになりました。東先生は小児マヒに罹患し車いすの弁護士で障害者の権利運動で国連なども出掛ける忙しさで毎法廷にでてゆくことは無理かもしれませんが協力を強く約してくれました。
 9時半、予定を30分以上超過し散会、ロビーではあちこちで話にはながさいています。

 熊本支える会はその後も着実に活動を続けています。東京事務局もいろいろサジェストをもらいながら、ともに溝口訴訟を闘っていきたいと思います。

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