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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2005/02/21

チエの話 (ちえのわ ) (その7)

次回法廷 第14回弁論
2005年4月15日午後13:30〜 熊本地裁101号法廷
双方が水俣病象論についての書面を事前に提出。
当方が申請している医学証人(津田先生)の採否が決まると思われます。

目  次
第13回口頭弁論報告
初傍聴の感想
東俊裕弁護士プロフィール

第13回口頭弁論報告 (荒谷 徹)

 新年の14日熊本は、さして寒くもなく青空も見えるまあまあの天気でした。午後1時半開始の裁判にいこうと京町(熊本地裁のあるところ)を歩いていると、学園大の花田先生に呼び止められました。おりよく東先生の所へ行くというので同道して、都合で今日の法廷には出られないという先生におおまかな状況を伝えておくことができました。
 傍聴は50人以上。報道も4名、環境省疾病対策室の職員の顔も見えます。被告県側は訟務検事はじめいつもの布陣ですが、原告席にはちょっと違いが…東京事務局の平郡氏が助手として座っています。永野証人に書証を指し示すことが多くなるためそれを山口弁護士に代わって行なうわけです。更にいつも傍聴席にいる溝口秋生さんも山口弁護士の隣にいて証人の顔をしっかりと睨んでいます。
 裁判は被告県側が12月10日に提出した乙111〜121号証について被告代理人が2、3の尋問をすることから始まりました。この書証については稿を改めて詳しく書くことになると思いますが、〈1988年検討の末死亡未検診については病院調査をしないと決定〉〈1990年には方針を転換して調査のマニュアルづくり〉〈1994年病院調査〉〈その結果に基づいての検討会の経緯〉などについての県の公式文書です。被告はこの証拠をもとにチエさんへの処分に行政的措置の裏付けがあったことを主張しようとしたと思われるのですが、永野証人の返答は被告側の質問であるにもかかわらず相変わらず「よく覚えていない」「文書があるならそうなんでしょう」というものでした。
 続いて当方山口弁護士の尋問、出身地(阿久根)、現在の職務(信用組合理事長)から始まりチエさんの処分経過や昨年10月の最高裁判決に至るまで2時間をこえて畳み込むように質問を重ねます。やや強面の印象のある山口先生なのですが今回は時折笑顔もまじえての丁寧な質問、法廷ドラマにあるような証人が顔を引きつらせて立往生するという場面はありませんでした。これは尋問で溝口さんの思いをぶつけ糾弾調で迫っても証人は覚えていないを繰り返すだけで(こちらの溜飲は下げられても)裁判上の利点は少ない、それより書証上明らかな県の不法的行為(Y氏裁決放置事件・森田シズカさん差戻し裁決・御手洗棄却取消など)について質問しそれらに対して、忘れた覚えていないなどの消極的答えを得ることによって県の極限的作為的放置の著しさを裁判所に印象付けようという事前の打合せによるものでした。作戦が効を奏したか裁判官は3人とも最後まで興味深そうに聞いており最後は証人に質問までしました。
 5時近くに裁判終了、東弁護士事務所が入っている裁判所近くの京町会館の会議室で集まりをもちました。30人以上も参加色々な感想が出てとても楽しい報告会でした。


○初傍聴の感想 (鈴村 多賀志)

実は私は、溝口さんの裁判を傍聴するのは今回が初めてです。2時間ほど早めに着いたため、しばし観光する。熊本地裁周辺は熊本城や旧細川刑部邸などちょっとした観光スポットです。
 さて地裁に入ると、既に数名の傍聴参加者とともにマスコミ数社が集まっていて、関西訴訟最高裁判決が与えた影響を感じさせました。
 ほどなくして溝口秋生さんをはじめ、患者の川本ミヤ子さん、荒木洋子さんなど水俣からも十数名が到着する。長井勇さんも車イスで参加してくれました。
 裁判所に入る溝口さんの姿を撮影したいというマスコミの要望を阿南さんが仕切る。地元熊本に溝口訴訟を支援する会があることは、いかにも心強いことです。
 法廷では証人に立った永野氏が、職務遂行に必要だったはずの救済法や通達についての理解や、在籍当時の認定業務状況、果ては自身が強力に関与したY氏裁決放置事件についてまでも「覚えていない」を繰り返すのみで終始する。
 山口弁護士が認定業務に臨む県の方針を明らかにすべくY氏の事例を突っ込んでいくと、県側代理人が立上り「未検診死亡者の病院調査について問題となったケースについて絞ってほしい」と遮り、傍聴席からは「県の基本姿勢が問題なんだよ」と怒号があがる場面も。
 法廷後、東弁護士の事務所もある京町会館で報告会を開かれました。
 山口弁護士が「(永野証人の)あれだけの無責任な態度は文書(裁判記録)になれば浮き彫りになる。今日の獲得目標は、認定業務が常に政治的になされてきたこと、県が政府“解決”策に追い込む政策をしてきたことを明らかにすること」と今回の尋問について解説しました。が、一方で「“素人”目には今回の効果がよく分からない」という率直な意見も出ました。
 また他には「水俣に生まれながら知らなかった」「今日の証言を聞いて県とはいったい何なんだろうと感じた」などの発言も続きました。
 今回の傍聴で私は、職務を離れてしまえば全て「覚えていません」で責任もとらずに通せると考えるその姿勢に、日ごろ患者が「役人は数年経てば異動してしまう」と話していた具体的弊害の一例を見せられた思いがします。傍聴席には環境省特殊疾病対策室の職員もいましたが、彼らの悪い手本にならないように、と願います。


○東俊裕弁護士プロフィール

 前号でも紹介しましたが、熊本県で活躍されている東弁護士が助っ人に加わりました。

・1953年 生まれ
・1954年5月 ポリオに罹患
・1989年4月 弁護士登録、弁護士活動に入る
*障害者の自立と人権を障害者自身が支援、援護するための自立生活センター「ヒューマンネットワーク・熊本」の設立(1991月12日)に携わり現在代表。
*全国自立生活センター協議会(JIL)人権委員会委員長
*日弁連・障害のある人に対する差別を禁止する法律に関する調査研究委員会委員

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