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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2005/05/12

チエの話 (ちえのわ ) (その8)

次回予定 弁論準備
 2005年6月13日午後13:30〜 法廷は開かれません
 4/15と同様に裁判所・被告側と進行協議

次々回予定
 2005年7月11日午前10:00〜 熊本地裁101号法廷
 6月に決まりますが、津田敏秀氏(医学)、宮澤信雄氏(社会学)、溝口秋生氏(原告)
 の証人尋問を予定しています。

目  次
4月15日の報告・年内結審、来春判決
5/4「阿賀の岸辺にて」参加して

4月15日の報告・年内結審、来春判決 (鎌田 学)

 今回は裁判長の交替による弁論準備のため、101号法廷は開かれず、原告−被告−裁判官3者は<503号ラウンド法廷>で今後の進行につき約20分間協議を行いました。
 <ラウンド法廷>ですが、文字通りの円卓に原告の溝口さんと代理人の山口、東両弁護士/裁判官3名/被告代理人4名が着席。加え、円卓のある同スペース内イス席には県水俣病対策課職員ら5名が、柵で仕切られた外側には被告側がさらに3名、原告側からは水俣・高倉史朗氏と東京・鎌田が着席。
 新任の横山秀憲裁判長の短い挨拶と着席者の確認後、山口弁護士が今後の主張・立証予定を陳述、特に原告側証人3名の必要性を強く訴えました。
 まず、チエさんは実体上水俣病であった、との医学証人として津田敏秀・岡山大学大学院教授。行政による患者放置の実態等を事件史にてらし、かつチッソ水俣病関西訴訟最高裁判決の意義にてらして認定制度の構造的問題を『水俣病事件四十年』の著者・宮澤信雄氏。そして原告の溝口秋生氏。
 原告は1月の口頭弁論後、2本の準備書面と津田意見書、溝口陳述書を、さらに証人申請理由補充書(2)(3)を提出してきました。チエさん=水俣病の立証に比重をおいています。
 第24準備書面では「関西最高裁判決を受けて、法が要請している救済の範囲」は「すなわち蓋然性50%は居住歴+喫食歴+感覚障害で十分であること」を、法の目的・趣旨論から論証しました。第25準備書面では津田意見書、溝口陳述書をふまえた上、被告が提出してきた証拠も“活用”し、チエさんの水俣病罹患を主張しています。
 裁判長は「年内いっぱいには結審したい」との方向を示し、続け「17年間も待たせておいて裁判自体の長期化もない」旨の発言も行っています。私たちは判決は来春、と想定しています。
 法廷が開かれなかったにもかかわらず、水俣から、熊本市内外から20名をこえる方々が駆けつけて下さいました。
 溝口さんが書道を教えていたかつての子どもが、今は大学院生や、可愛い子の手を引いた若いお母さんとしての、参加です。医学論でお世話になっている熊大・二宮先生からは、今春海外専門誌に掲載された同・浴野先生らとの共同論文についての報告もあり、その内容の決定的な意義も嬉しく、心強いかぎりです。
 あともうひと踏ん張り。東京事務局も想いを巡らし策を練りつつ支援活動を継続していきます。ちなみに、山口弁護士の川本輝夫氏追悼文はタイトルが<七生報国>。私は<至誠通天>を銘とし「退く者あらば斬る」と、意気(だけは)軒昂に水俣を歩き回ってきました。


5/4「阿賀の岸辺にて」に参加して (鈴村 多賀志)

 久しぶりに5月連休恒例、新潟・阿賀(安田町公民館)の追悼集会に参加してきました。
 故遠藤武さん(水俣病患者)の追悼を起源とする追悼集会ですが、今年は新潟水俣病公式発表40周年と、渡辺参治さん(水俣病患者)卆寿のお祝いがメインイベントとなりました。
 当日、熊本水俣からは胎児性患者や付添いを含め「ほっとはうす」関係者が15人も参加。この他には関西域からも大挙参加するなど、北は北海道に至るまで全国各地から総勢100名近くの人々が集いました。これは、これまで旗野秀人(支援)さんと渡辺さんがいかに全国を精力的に歩き回って来たかを証明するもの。“患者が呑んで(渡辺さんは呑まないが)歌って何が悪い!”と他ではちょっと真似のできないユニークなスタイルで水俣病患者の今を語り継いで来たタマモノです。その人の環が広がる勢いはますます加速が加わっているように見えました。
 本集会は、映画「公害と闘う」(1968)の上映から始まりました。第1次訴訟判決が出る前の映画なのだが、水俣病は大脳障害であることが説明され、末梢神経とは一言も言っていない。いつの間に末梢神経が登場してきたのか、この映画を見ていると、原因究明や胎児性の証明後の医学は後退さえしたのではないかと思えます。
 ところで映像の中に、知人の若くまた子どもの頃の姿を見つけると、厳しい状況を映しているのにもかかわらず思わず微笑んでしまうのは私だけでしょうか。
 映画の後は斎藤恒・木戸病院名誉医院長の講演「新潟水俣病40年・患者とともに」。
 水俣では地域が分裂してしまった経験を踏まえて新潟では組織化に努めたこと。差別を恐れるため、申請者の数は勝利判決や運動の盛り上がりと対応していること。昨年10月の関西訴訟最高裁判決に触れながら、安田町にもまだまだ潜在患者がいるのではないかと話されました。
 またWHO等の国際会議で、世界の水銀中毒に注目が集まっているのにもかかわらず、「新潟の資料がない」「中毒という考え方が欠けている」と指摘されるなど、日本の医学研究が国際的に遅れているとも話されました。
 集会後半は、大阪あみかけ一座と渡辺参治さんのコラボレーションライブ。渡辺さんはインフルエンザあがりで体調も万全ではなかったと言うことでしたが、相変わらずの見事な咽を披露してくれました。卆寿のお祝いには水俣ツアーの目録が「ほっとはうす」から送られました。
 ライブ終了後は場所を花咲温泉に移して、大懇親会(人によってはこっちがメイン)に突入したのでした。

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