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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2005/10/30

チエの話 (ちえのわ ) (その11)

次回
2005年12月12日(月) 13:15〜15:30 熊本地裁101法廷
 溝口秋生氏(原告)に対する原告側主尋問、被告側反対尋問

目  次
傍聴を続けて見えてきたもの
10月14日法廷報告

○傍聴を続けて見えてきたもの  (田尻雅美・熊本学園大学水俣学研究センター)

 溝口訴訟傍聴にはじめて行ったのは、2003年6月10日に開かれた、第2回口頭弁論だった。このとき時間は短かったものの、山口弁護士が県の代理人を激しく批判し、白熱したもので、1960年代の水俣病の裁判闘争もこんな雰囲気だったのかと想像した。その後は、ほとんどが裁判官と弁護士のやり取りが少しあるだけであっという間に終わっていた。裁判後の報告会で進行状況、内容の説明があって私は初めて今何が審議されているのかがわかる状態だった。
 溝口訴訟傍聴に参加して驚いたのは、水俣病と申請して17年間も放置された挙句、死亡して何年間も申請後の処理の状況を県の担当者に息子さんが問い合わせ続けたにもかかわらず、無責任な応対で始終し、ついには水俣病と診断する資料がないから棄却したことを知った時だった。申請者が多いことを理由に、申請しても十分な検診さえ行わず、死亡した後も放置し続け、証拠となるカルテが破棄されたといって棄却した行政の行為はまさに人権侵害の典型である。それをなぜ、被害者である溝口さんが訴訟を起こさなければ棄却さえ取り消しにできないのであろうか。
 どんなに申請者が多くとも、未処分者が、死亡したこと自体、県の怠慢である。病院のカルテの保存期間は法律で定められているので仮に、処分はできなくてもカルテを収集することは最低限の義務であった。しかも裁判の途中で明らかになるのだが、民間カルテはつい最近まで保存してあったことがわかっている。まったく理不尽で本当に腹立たしい以外の言葉が思いつかない。
 溝口さんは、「毎日仏壇の前に座って相談した。『お前やれ』と言われたような気がした」そして、訴訟に踏み切ったそうだ。最初の口調は、淡々としておられたが、裁判を重ねるごとに県行政の不誠実さが明るみになってきて、口調に力と怒りが以前にも増して感じ取られるようになった。いつも、おだやかで多くは語らない溝口さんが裁判席でじっと我慢して聞いている姿が印象的である。
 7月1日、溝口さん自宅に証人尋問前の打ち合わせに同行した。家では裁判所と違い冗談が飛び交い、秋生さんが結婚した当初のチエさんのことを妻・Nさんと一緒に思い出し話して下さった。そのやり取りは、長年連れ添った夫婦だからこそ成り立つ会話。Nさんが「(車の)運転は、しきらんと」というと、溝口さんは「よかが、夫は操縦しきれば」とニコニコしながら話される。とんちが効いた冗談は、さすが。書道の先生をしていた溝口さん宅ならでは、家の床の間に大きな筆が飾ってある。勝訴を勝ち取ったときには、この筆卸がされるのではとこっそり期待をしている。


○10月14日法廷報告 (平郡真也)

 10月14日の昼過ぎ、熊本地裁1階のロビーでは、傍聴に来てくれた皆さんがあちこちで談笑する光景が目につきます。原告の溝口さんは散髪したばかりのさっぱりした身なり。若い女性から誕生日のプレゼントを渡されて思わず笑みがこぼれます。
 熊本学園大の学生さんも大勢集まり、傍聴席が満席になった状態で、午後1時15分開廷。津田敏秀さんに対する被告側の反対尋問から始まりました。
 被告代理人はまず、チエさんの臨床症状(感覚障害、運動失調、難聴)は本当にあったと言えるのか、有機水銀以外の原因は考えられないか、など「チエさんは水俣病」とする津田さんの証言を崩すのに懸命です。
 元々この裁判では、チエさんの所見を示すデータに乏しく(それはもっぱら検診や資料収集を怠った被告の責任)、十分な証明は難しいのですが、限られたデータからでもチエさんの所見は確認できると津田さんは明言。逆に「否定する積極的な根拠はない」と切り返しました。
 続いて津田さんの意見書についての尋問に移りました。意見書で津田さんは<有機水銀の曝露歴と四肢末端優位の感覚障害が認められれば、水俣病である蓋然性は90%以上>と疫学理論を駆使して論証しており、原告側の病像論の重要な柱となっています。
 これに対し被告側は、この見解自身の妥当性を争うのではなく、元となった調査データの信用性をおとしめる作戦に出ました。やれ、各調査で診断に当たった医師の数は?専門は?感覚障害のとり方にちがいはないか?結果にばらつきがあるのはなぜか?やれ、水俣病に関する情報が調査内容に影響していないか?・・・くどくどとしつこいくらいに。
 被告の狙いは、調査データは信用できない、従ってそれを基にして導いた津田さんの見解も信用できない、と印象づけることにあるようです。津田さんはこれらの尋問に丁寧に答え、データも見解も間違いないと証言しました。
 また、疫学が個人の診断の場面で果たす役割を取り上げた尋問では「100人の対象集団において感覚障害のある寄与危険度割合(蓋然性)が99%ということの意味は、1人ひとりにつき感覚障害がある確率が99%と理解してよいのか?」「そうです」。そして「個人について曝露と病気の因果関係があるのか否かを疫学で判断できるのか?」「疫学でしかわからない」と断言しました。
 次に、原告代理人の山口弁護士が意見陳述に立ち、「被告が1984年8月に計画していたというチエさんの病院調査の実態を明らかにするために河野氏(元熊本県医療審議員)の証人採用は欠かせない。被告はこの場で生死だけでも答えよ」と迫ったところ、被告代理人は「その点も含めて書面で回答したい」と逃げの一手です。これには横山裁判長も「生死だけでもわからないの?」と苛立ちを隠しません。山口弁護士は「被告の態度は原告のみならず、被害民全体を侮辱するものだ」と厳しく非難しました。
 最後に、次回法廷は12月12日に、原告溝口さんへの主尋問、反対尋問を行うことを決定、閉廷しました。

 法廷終了後、東弁護士の事務所がある京町会館で報告集会を開きました。溝口さんが「たくさんの方の傍聴が心強い。大きなうねりとなって、裁判がいい方向に向かって欲しい」と挨拶したのに続き、参加者からは「被告は追いつめられていると思う」「県の訴訟態度に誠実さがないことを裁判長もわかっているのでは」「裁判所にも被告にも『私たちは見ている』というプレッシャーをかけたい。傍聴の意味もそこにある」などの発言がありました。

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