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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2005/12/30

チエの話 (ちえのわ ) (その12)

次回
2006年2月13日(月) 13:30〜14:00 熊本地裁101法廷
 義務づけ訴訟、河野慶三証人採用について。

目  次
溝口秋生氏原告証人尋問
義務づけ訴訟提訴について

○2005/12/12 溝口秋生氏原告証人尋問 (鈴村多賀志)

*主尋問でチエさんの生前の健康障害を確認
 主尋問は東弁護士の担当です。まずチエさんが最後にカキ打ちに行った時期について、秋生さんの次男が生まれた1962〜63年頃だったこと。カキを食べてお母さんのお乳がいっぱい出るようにとの配慮だったことが確認されました。
 そしてチエさんの水俣病罹患を推測させる重要な証拠として、流涎状況についての証言がなされました。流涎は秋生さんの結婚(1959)後しばらくしてお母さんや近所の人々が気がつくようになった。秋生さん自身は1972年頃、涎をたらしながらボヤーッと座っていたのが印象に残っている。その頃が流涎や味覚異常が一番ひどかったと証言しました。
 続いて秋生さんの次男が小学校に入る前頃には、踵を上げて歩くことができず、摺り足のように歩いていたこと。チエさん一人で認定申請をできるはずはなく、喜三さん(チエさんの夫・最初は水俣病に偏見を持っていた)が付き添ったのではないか。(秋生さん自身は2〜3年後になってチエさんの認定申請を知った)チエさんの臨終には三嶋功(当時熊本県認定審査委員)が立ち会ったこと、等が証言されました。
 毎年命日に県に問い合わせても、たくさんの申請者がいて処理できないとしか応えず、処分に21年かかったことについて、うやむやにして棄却を前提にしたやり方だと感じる、と証言をまとめました。

*些末な反対尋問
 反対尋問では、まず流涎や味覚異常について認定申請書と原告陳述書で発症時期の記述に差があること(申請書では1974年頃、陳述書では1972年頃)等をついてきました。認定申請書は誰が書いたのか。秋生さんが味覚の異常や流涎が1972年頃と陳述した根拠は、等々。
 そして自宅近くのI医院ではなく、なぜバスを利用しなければならない市内のS医院で診断書を書いてもらったのか。また前回の尋問で、袋湾は1972年頃には埋め立てられていたので、チエさんが最後にカキ打ちに行けたのはもっと前との証言がありましたが、これに対して袋湾の埋立は段階的に進んだずなので1972年頃までカキ打ちができたのではないか、と尋問してきました。

記者会見 記者会見にて左から
東俊裕弁護士、溝口秋生氏、山口紀洋弁護士

 被告県側は、その記憶の曖昧さをついて原告証言の信憑性をおとしめたいようでした。しかし水俣病の正確な情報が得られていなかった30〜40年前の事柄を、今になって詳細に証言しろと言うのは被害者に無理を押しつけるものです。I医院の問題についても、当時地元の医者は水俣病の診断書を出さなかった状況を全く無視しています。
 袋湾の埋め立て時期もチエさんの発症時期に関わる問題ですが、被告は具体的に何年にどこまで埋め立てたのかという事実は示さず、単に可能性を言い立てていただけで、秋生さんも答えようがありませんでした。
 傍聴席からは「そんなこと調べる暇があったら、被害の実態調査をしろ」との声がもれていました。

*報告集会にて
 京町会館で開かれた報告集会では、参加者から「神経症状の発症時期なんて自分でもはっきり分からない」「50年も前のことを詳しく聞きただすのは無理を押しつけている」「今頃こんな尋問をすること自体県の怠慢、違法性を表している」「溝口さんももっと怒ってよいのではないか、(原告側)弁護士もいつまでも(被告側の)些末な尋問を続けさせるな」との発言が相次ぎました。  遅れて参加した東弁護士は、、疫学調査記録(1977年作成)に「死亡診断書より」という記述があることなどから、認定申請者が死亡した場合に通報が県に行くシステムがあったのではないか、死亡診断書以外のカルテも県に渡っている可能性があると発言しました。
 そして原田正純さんは、今新たに認定申請をしている3000人の人々は疫学を重視し、どこに住んでいたかで押すべきだ。関西訴訟を越えなければならない、と発言しました。


○義務づけ訴訟提訴について (平郡真也)

 原告の溝口さんは10月28日、被告熊本県を相手どり、チエさんを水俣病と認定するよう求める裁判を起こしました。これは義務づけ訴訟と呼ばれるもので、今年4月に改正施行された行政事件訴訟法により新設された裁判の型です。
 いま熊本地裁で審理が進められているのはチエさんの棄却処分の取消しを求める裁判です。一方新たに提起した義務づけ訴訟は、棄却取消から一歩進んで水俣病と認定するよう求める裁判です。
 では、両者のちがいはどこにあるのでしょうか?前者が勝訴しても、棄却処分が取り消されるのにとどまり、県が再度再審査−処分をやり直すことになります。その際、判決の拘束力が働いて、事実上認定は確定ですが、県が棄却処分を繰り返す可能性がないとは言えません。(特にチエさんのように、判断する資料が不足している場合)
 これに対し義務づけ訴訟で勝訴すると、チエさんは間違いなく認定されますし、さらに審査をやり直す必要がないので、審査に要する時間を省けるというメリットがあります。ただし、その勝訴のためには棄却取消に比べて、チエさんが水俣病であることをもっとはっきり証明しなくてはなりません。
 12月12日の弁論で、横山裁判長は両者を併合して審理する旨決定しました。乗り越えるべき壁は高いのですが、両者合わせて勝利をめざしたいと考えています。

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