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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2006/02/26

チエの話 (ちえのわ ) (その13)

次回
2006年5月8日(月) 13:30〜14:00 熊本地裁101法廷
 門前集会 13:00〜 熊本地裁前

目  次
2.13法廷報告
「ごんずい」坂西文にこたえて

○2.13法廷報告 (鈴村 多賀志)

*棄却取消訴訟、ほぼ立証を終える
 13日の法廷では4つの書面を提出しました。棄却取消に関する書面は、第33=長期間にわたるの処分の遅れは不作為違法である、と第34=被告・熊本県が民間カルテを収集しなかったことは証明妨害に当たる、の2書面です。
 チエさんを21年間も意図的に放置した県の責任を問う手続瑕疵の証明は、これらの書面でほぼ終えたことになります。後は河野慶三証人を採用させて、1980年当時の病院調査の実態を明らかにする作業が残ります。

*義務づけ訴訟、二宮意見書
 一方、義務づけ訴訟に関しては第32=提訴自体を不当と主張する被告に対する反論、と二宮正・熊本大学医師による意見書の2書面を提出しました。
 二宮医師の意見書では、@1977年(S52)判断条件は医学的に誤りであること、Aチエさんの感覚障害が他の疾患(腎障害等)でないことは臨床的に否定できること、Bチエさんは水俣病であったこと、が述べられています。特に「判断条件」について、人体に取り込まれたメチル水銀が障害するのは大脳中枢であり、末梢神経障害を前提とする「判断条件」はその前提から誤りであることを詳細に解説しています。
 13日当日は上記書面に立ち入った弁論はありませんでしたが、次回以降弁論に入ることが決まり、義務づけ訴訟を門前払いさせようとした県のもくろみは退けられました。

*1977年判断条件(認定条件)を突崩す闘いへ
 横山裁判長からは「棄却取消訴訟では『判断条件』に照らしても水俣病と認定できると主張してきたのではないか、義務づけ訴訟では『判断条件』が間違っていたと主張するのか、整理をして欲しい」との要望が出されました。
 これには裁判長の誤解も含まれています。
 私たちは今まで一度も「判断条件」が妥当だとは主張したことはありません。棄却取消訴訟の争点は、県の意図的懈怠により、チエさんが水俣病であったことを証明する資料が失われたうえ、21年間も放置されたことの責任を問うものです。まずこの点を裁判長にしっかり理解してもらう必要があります。
 「判断条件」については、主に公健法(救済法)の目的・趣旨から不当と主張してきました。確かに本格的な病像論(責任病巣)にまでは立ち入った論争はしてきませんでした。
 しかし義務づけ訴訟の提訴によって「判断条件」を真正面に据える必要がでてきました。またチエさんの認定棄却時(1995)には、県は「判断条件」が誤りであることを認識できたことも証明する予定でいます。
 次回弁論以降では、@法(注)の制定経緯や趣旨目的と構造、そこから求められる認定基準とは、A1971(S46)年事務次官通知と「判断条件」の関係とその意味、B末梢神経障害説が出てきた過程と「判断条件」の果たした役割、C関西最高裁で示された基準こそ行政認定の基準として妥当であること、D結論としてチエさんは水俣病であったこと、を順次立証していきます。

 裁判の争点が手続違法論から水俣病病像論へ移ることについては、事務局内部でも議論がありました。関西訴訟最高裁判決後の県・環境省の対応を見ても、県側の厳しい抵抗が予想されます。ここに来て私は、認定問題に関わるにはやはり「判断条件」を避けて通れないし、また時代の要請なのかも知れないと感じています。

(注)水俣病の健康被害救済に関する法律は1973年公布の公健法(新法)とそれ以前の救済法(旧法)とあるが、チエさんの場合は旧法による。


○「ごんずい」坂西文にこたえて  (事務局 荒谷 徹)

 相思社発行の「ごんずい」(92号・2006.2.5発行)に坂西卓郎さんが「溝口棄却取消訴訟を傍聴して」という文を寄せておられます。とてもよく裁判の内容、方向性を解っていただいている内容で、私達裁判をすすめている者にとっても勉強になる文でした。義務付け訴訟を併合するにあたり私達が検討したことと多くの部分が重なっており、坂西文に答える形で書けば、私達の考え方を「チエの話」の読者にもより一層解っていただけるのでは、とアンサー文を綴る次第です。
 坂西さんは、義務付け訴訟併合によってハードルが高くなり裁判の長期化とそれにともなう溝口さんの負担を心配しています。私達も全く同じ憂いをもったわけですが、溝口さんによく話をし、納得していただいたと思っています。また、水俣病像についてはご子息のこともあり提示には積極的な考えをおもちでした。勿論、異常に長期な審査を問う裁判が長くて良いわけはありません。これからも早期の結審に向けて努力するつもりでいます。
 次により本質的な問題としてこの裁判の目的が変わっていったのではないかという事です。坂西さんはこう書いています。「この裁判の目的は何なのだろうか。勿論チエさんの認定を認めさせることであり、認定制度の矛盾を証明することでもあるだろう。しかし、それとおなじぐらい大切なのは、原告である溝口さんご自身の気持ちの整理であり、心が少しでも晴れることではないだろうか。」溝口さんの心の晴れること―それを私達はチエさんの審査過程の違法性を徹底的に明らかにすることだと考えました。
乙111〜、乙122〜号証の解説や今回提出した証明妨害の法理、又先の違法確認訴訟に照らしての県の違法性の証明など、この点についてはかなりな程度被告をやっつけたと思っています。(勿論それが判決と直結するとは言えませんが)
 しかし一昨年の関西最高裁判決以降、病像論=認定基準論が注目を浴びだしたのも現実です。当初訴訟を準備した東京には医学関係のスタッフがいない事もあって訴訟進行に関して病像論を迂回した戦術をとることにしました。しかし、いまは二宮先生をはじめこの裁判のために意見書を書いてくれる医師がいます。今、病像論を問い認定制度の破綻を主張するのには絶好の機会というべきではないでしょうか。私達はそう考えて県の違法性の確認と新たな病像論を二本の柱に据えようとしたわけです。
 気取っていえば個人の「思い」の追求と運動としての裁判は究極相容れない面があるのでしょう。水俣病第一次訴訟がそうでした。皆さんの批判ご意見をまちつつ二河白道を求めていきたいと考えています。

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