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溝口棄却取消訴訟弁護団東京事務局ニュース 2006/05/28

チエの話 (ちえのわ ) (その14)

次回(進行協議)
2006年6月13日(火) 11:00〜12:00 熊本地裁

*6月13日も報告集会を開きます*
 進行協議のため法廷の傍聴はできませんが、法廷に入る原告団を見送った後に京町会館にて集会、進行協議の報告等も予定しています。是非ご参加下さい。


目  次
5.8法廷報告
第35準備書面紹介

○5.8法廷報告 (鈴村 多賀志)

*義務付け訴訟、第35準備書面を提出
 今回の法廷より裁判長と右陪審(裁判長から見て右側)が交替しました。新しい亀川清長裁判長は、前任の福岡地裁で小泉首相の靖国参拝について違憲判断(損害賠償については認めなかった)を下した裁判長。是非今までの準備書面や証拠を精読して、水俣病認定制度の違法性を理解してほしいものです。
 裁判長から第35準備書面の概要の説明を求められた東弁護士は、「メインはS52年判断条件(現認定基準)は救済法の趣旨に違背していることである」として、水俣病像論の変遷や救済法が求めている認定要件とはなにか、チエさんは水俣病であった等、第35準備書面の解説をしました。
 裁判長からは、原告はチエさんをどんな基準で水俣病と主張するつもりなのか、棄却取消訴訟ではもし被告が医学資料を集めていればS52年判断条件でも認定できたという主張もしていたが、これは変更するのか、という確認が求められました。そして次回(6/13)は、どこに重点を置いて原告が立証し被告が反論するのか整理するための進行協議にしたいとしました。
 この進行協議には山口弁護士が支援者同席を強力に求め、渋々ながら裁判長、被告に最低2名の同席を認めさせました。後の報告集会で山口弁護士は、裁判を開かれたものにするため進行協議の場もオープンにすべきとの考えを述べました。

*法廷後報告集会
 京町会館で持たれた集会では、まず山口弁護士から法廷の解説を受けました。
 裁判長は、原告はS52年判断条件、関西訴訟判決、救済法にあるべき基準のなかでどこを基準にして原告は争うのかを問うている。関西訴訟判決を基準にするのならば、それほどやることはないが、それ以上となると新しい判断基準を措定することになる。これは他の国賠訴訟やこれからの訴訟だけでなく社会的にも大きな影響を与える。水俣病50年間の医学の総決算する覚悟があるのか、原告被告双方に問われているのだと、裁判長の確認の意味を説明しました。
 東弁護士はプロジェクターを使用して第35準備書面の概要を解説した後、今後はチエさんの個別症状の立証が問題になってくるので、二宮正医学証人の証言が大事になると纏めました。
 熊本学園大学の花田さんからは第35準備書面を広く活用するために冊子にしたこと。水俣病問題に係る懇談会の委員全員に送る予定であることが報告されました。
 京都の小坂さんは(傍聴人に対する)プレゼンテーションのやり方が難しく初心者には入りにくいという苦言とともに、文殊(原発)裁判では進行協議を立証の場にしてしまった。学者達に出席、発言させ裁判長の心証形成に影響を与えていったという助言がされました。
 東京事務局の不手際で18日の行動予定が十分に伝わらず、参加人数は多少寂しくはありましたが、S52年判断条件に引導をわたす闘いの船出となった集会でした。


○第35準備書面紹介  (鈴村 多賀志)

 水俣病公式確認50周年の5月1日に提出した第35準備書面は、東弁護士が最終準備書面のつもりで書いたという大部なもの。S52年判断条件批判を正面に据えて、その医学的誤り、違法性を多角的に明らかにした上でチエさんの認定義務付けを訴えています。
 大きく3つの章に分けられた書面は、まず第1章では末梢障害説(水俣病は末梢神経を傷害されている)を基盤にしたS52年判断条件が医学的に誤りであったことを主張しています。

*医学的知見から見た誤り
 鶴田和仁医師の論文「水俣病における感覚障害の文献的考察(水俣病研究2号)」を引用して医学的知見の変遷を追い「水俣病における末梢神経障害説は幻だったのではないか」と結論づけています。次に関西訴訟判決とその医学的基礎となった浴野成生(熊大医学部)意見書から水俣病の責任病巣は大脳皮質障害であることを証明しています。そして末梢神経障害と大脳皮質障害とでは、感覚障害の発生機序やその内容が異なること、両者の鑑別は容易であることが主張されています。
 また海外の文献からは、特に水俣病像の原点となったハンター・ラッセル報告においても、大脳皮質障害の臨床例が報告されていること、イラクのメチル水銀中毒の研究(バキル報告)からは、感覚障害のみの水俣病の存在が証明されることを主張しています。
 疫学の観点から見た場合にはメチル水銀暴露地区に住み感覚障害のある人が水俣病である蓋然性(確率)は90%を超えることが報告されています。バキル報告や疫学調査からは、症状の組み合わせを要求するS52年判断条件の不当性が明らかになります。

*法的視点から見た誤り
 第2章では、S46年までの熊本県認定基準、故川本輝夫さんの闘いにより引き出されたS46年事務次官通知、そしてS52年判断条件について各認定基準の成立過程と果たしてきた役割を解きほぐしていきます。結果として、S52年判断条件が如何に救済法の目的を阻害してきたか、法的視点からも救済法の認定基準たり得ないことを主張しています。
 そして救済法が求める救済範囲とは損害賠償訴訟が求める認定要件より広くなければならないのに、現実は逆になっている。関西最高裁判決後も環境省が認定基準を見直さない今、司法による矯正が求められていると述べています。

*チエさんは水俣病であった
 最後に第3章では、チエさんは少なくとも関西訴訟で認められた基準に合致しており、当然救済法による認定がされて当然であること。被告が主張する「他の疾病の可能性」は全て否定できることが、ひとつひとつ丁寧に証明されています。
 そして結論としてチエさんを水俣病患者として認定するよう熊本県知事に求めています。

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