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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2008/02/17

チエの話 (ちえのわ ) (その20)

2008年2月6日(水)不当判決に対し控訴しました。 控訴審(福岡高等裁判所)の闘いにも、ご支援をお願いします。


目  次
全面敗訴の不当判決
熊本地裁判決の内容
控訴審に向けて
溝口判決の報道について
会計報告

○全面敗訴の不当判決 (鈴村多賀志)

 熊本地裁の裁判官(亀川清長、内山真理子、中島真希子)は、診断書のみではチエさんを水俣病と認定できないとして原告の主張を門前払いとする判決を言い渡しました。診断書のみにしてしまった熊本県の責任は不問のままです。(詳細は他ページ)
 判決後、原告の溝口秋生さんは「世界に恥ずべき判決だ」と無念をにじませました。

*3時間の県交渉
 15時から熊本県庁で行われた交渉には、原告家族や弁護団・支援の他にも、水俣病被害者互助会や水俣病不知火患者会の患者さん達も駆けつけてくれました。
 最初の20分は潮谷義子県知事も出席しました。
 秋生さんが「息子を見てほしい。胎児性に間違いないのに認められない。息子のことも考えて提訴したのに、幼稚としか言いようのない判決だ」と迫りましたが、潮谷知事は「個人の心情としては、さぞ怒りになっただろうな、という思いがいっぱい」と言いながら「判決文を読んで反省すべき点は反省して、今後も進めていきたい」と述べるに留まりました。
 知事退席後は、主に村田信一部長(環境生活部)が対応をしましたが、「控訴すると言われては具体的な話はできない」「県の主張が認められた。判決本文を検証させてもらいたい」と繰り返し、乙111号証(病院調査をしないことを環境庁(当時)と合意した文書)については「法に決められた中で、課題に突き当たりながらやってきた事実を述べたもの」と答えました。
 秋生さんは「解剖すればよかったと言うが、親を切り刻みたいのか。被害者にそういうことを言うのか」「裁判を起こさなければ(放置の実態が)闇に葬られていた」「水銀でどれだけの人が死んだのか。大事件ではないのか。これだけ(県職員が)税金で来ているのに、誰もしゃべらないのはおかしい。一言づつ発言して欲しい」と迫りました。
 さすがに解剖については「裁判の過程において溝口さんの心情を害する点があった」としましたが、出席職員が発言することは「今後の交渉スタイルに影響を与える」と拒否し、被害者が求めている実態調査や日本精神神経学会との討論申入れについても明確に答えませんでした。
 支援女性の「水俣で生まれ育ち、水俣病に対する差別を見、受けてきた。水俣に対する後ろめたさがあり、かつては自分の子供も水俣では育てたくないとさえ思っていた。ちゃんとした正しい判断を公の立場でして欲しい。県の役人の判断が他の地域にも影響をしている」との発言には、「大変重い言葉」と答えるのみでした。
 また関西最高裁判決後の未検診死亡者は60人にもなり、未検診死亡者の問題が現在進行形であることが明確となりました。

*溝口さん控訴を決意
 翌日26日、弁護士・事務局が溝口さん宅を訪れ、ささやかな慰労会を行いました。この席で控訴する秋生さんの決意が確認されました。
 28日の記者会見で秋生さんは、「あれだけ負けてかえって元気がでた。ここでやめたら、今までやってきたことの否定につながる」と話されました。
 具体的な体制づくりはこれからですが、再び山口弁護士を中心として控訴審を闘うことになりました。これまで以上のご支援・ご協力をお願いします。


○熊本地裁判決の内容 (平郡真也)

 熊本地裁の判決は、原告溝口秋生さんが母チエさんの棄却処分の取消を求めた訴えは理由がないとして棄却、チエさんの認定を義務付けるよう求めた訴えは却下(審理をすることなく門前払い)としました。
 判決は結論に至る判断の中で、被告県側の主張を全面的に採用し、県によるチエさんの放置、そして棄却の実態を容認したのです。以下、争点ごとに見ていきましょう。

*争点@ (チエは救済法上の水俣病と認定されるべきか)
 この点につき、原告の主張は次の通りです。
 チエさんが水俣病かどうかを判断する上で必要な資料がほとんど存在しないこと。それは県が生前の検診を怠り、死後も17年経つまで病院調査を行わず民間カルテを収集できなかったせいであり、資料不足の責任はもっぱら県にあること。その点を考慮し、申請時に添付した診断書の証拠価値を高く評価すべきであること。同診断書によれば、チエさんには四肢末端優位の感覚障害が確認できること。疫学的研究の成果に基づき、有機水銀の曝露歴及び四肢末端優位の感覚障害があれば水俣病に罹患している可能性は90%以上であることから、チエさんは明らかに水俣病である、と。
 これに対し判決は、チエさんの症状に関する資料が乏しいことを指摘しつつ、ではなぜそのような状況が生まれたのかについては、「チエについてのカルテが…証拠として提出されていない」「チエはその(眼科と耳鼻科)余の精密検査を受診しておらず」「病理解剖もなされていない」など、県の責任には一切言及しないどころか、逆にチエさんの側に責任があると認定しました。
 唯一の資料と言うべき申請時の診断は「自覚症状についての記載が主であり」「客観的な診断・評価とは言い難い」。よって「チエが水俣病であったことを示すに足りる症状の存在を証拠上認めることはできない」。
 つまり、認定基準や疫学理論の当否を論じるまでもなく、チエさんには水俣病特有の症状がひとつも確認できない以上、水俣病とは言えないと判示しました。

*争点A (本件処分にはこれを取り消すべき手続上の瑕疵事由が存在するか)
 これは、チエさんを処分すまるでの審査過程に重大な手続上の誤りがあるかどうかという手続に関わる問題です。
 この点につき、判決が原告の主張に理解を示したのは次の2点−「チエが認定申請を行ってから、チエの生存中には検診が完了せず、チエの死後に病院調査が実施されるまでに約17年もの年月が経過し、申請から21年後に処分がなされるという事態は、認定申請の手続としては通常ではないことは明らか」「被告熊本県知事の行った資料収集の手順には手落ちがあるといわれても仕方がない部分がある」だけです。
 そして、手続上の最大のポイントである病院調査に関し、「被告熊本県知事がチエに関する資料を故意に隠滅したとか、意図的に病院調査を放置したと認めるに足りる証拠はない」と手落ちだけでは足りず、「故意・意図」つまりわざとやったという証拠が必要だが、それは認められず重大な誤りではないと言うのです。
 また、手続上のもうひとつの論点である処分の遅れについて、1974年8月のデタラメ集中検診に対する申請者の正当な抗議行動を持ち出したり、未検診死亡者は審査のための資料が限られており判断自体が非常に困難であったなど、ここでも処分の遅れた責任を申請者の側に転嫁する論法です。  さらに、乙第111号証(県が環境庁と協議して未検診死亡者の病院調査を実施しないと合意していた文書)を、未処分者が増大する状況にあって妥当な方針と位置づけるに至っては(県はそこまで主張していません)、被告を助けようとする姿勢が露骨と言うほかありません。
 結局、本件処分には認定制度の存在意義を失わせるような悪質かつ重大な手続上の誤りはないと決めつけました。

 以上の2つの争点に対する判断を踏まえて、熊本地裁は冒頭に述べた結論を導いた訳ですが、あまりにも行政寄りと言うか積極的に擁護するという考え方に貫かれており、これでは行政が申請者を何年待たそうが、そのあげくに資料がないからと棄却しようが、誰もチェックできないことになってしまいます。
 まさに司法の任務放棄、自殺行為と評せざるを得ない不当な判決です。


○控訴審に向けて (山口紀洋 弁護士)

 水俣病事件に関しては2004年の関西水俣病患者最高裁判決があり、これまでの認定制度の基準が狭きに失していたと批判し、国・県の水俣病発生責任を認めているのです。加えて、最近のHIV、原爆症や肝炎患者に対する国の解決姿勢は、被害者の実態を廣く理解するようになって来ています。
 従って、本判決はこの司法や行政の流れに真っ向から反する判決でした。このような判決がなされた理由は、現在、与党で水俣病の全面解決・恒久対策としてプロジェクト・チームが組織され、解決案が提示されているので、裁判所はそこに全ての被害者を追い込み、52年間続いている水俣病事件を、一挙に解決しようという意図なのです。しかし水俣病の「全面解決・恒久対策」というものは、実は1995年にもありました。それは真正な水俣病患者を患者と認めないグレゾーンで処理し、補償金を260万円に抑え、潜在患者を切り捨てるもので、その不満を抑えるために、患者の個人の補償とは別に各患者団体に総額50億円近い解決金を支払ったのです。しかし上記関西訴訟判決や私たちの訴訟提起があったので、この解決策の欺聴的性が天下に公表され、患者は怒り、再び1万5千人もの申請者が出て、1000人以上が裁判を起こし、今後もどんどん増える状況になっています。そのために亀川裁判長は与党案を承諾しなければ、棄却するという、患者に桐喝を加えたのです。
 このような作為的な判決のために、世論は判決に極めて批判的です。無論、私の完敗責任は重大で、亀川裁判長に水俣病の実態を説得し、納得して貰えなかったこと、そのために真正な水俣病患者である溝ロチエさんを司法で、いわば「ニセ患者」と言われることを許したこと、しかも裁判長から桐喝を受けたことは他の裁判に大きな影響を与えます。原告でチエさんの息子さん溝口秋生さんも怒り、私共は「真実を真実として認めさせる」為に福岡高裁に控訴して、全力で戦います。
 ロスアンゼルスから戻る時には、私は勝訴判決をみやげに早速ロスに再び帰る予定でしたが、この完敗では人生の後半を水俣に住んででも、逆転勝訴に掛けることを決意しました。早速、控訴趣意書を作成せねばならないので、私が再び弁護団長となり、少なくとも4月末までは日本に滞在することにしました。仕事の上の難しさは覚悟の上であり、社会において眼前の不正義をうち倒し、正義を実現することを、積み重ねることによって人類の究極の目的である佛国土・世界連邦建設が実現すると、私は信念していますから、この成り行きは喜びであっても苦にはなりません。以上、心を一つにして逆転勝利まで闘いましょう。
 南無妙法蓮華経 合掌
(山口弁護士「仏光寺たより」08/2/4号より抜粋)


溝口判決の報道について (荒谷徹)

 ひどい判決でした。
 判決内容の批判や今後の方針については別項に譲るとして、ここでは少し角度を変えて新聞を中心とした報道のことをかいてみます。
 判決1週間前に熊本の支援がセットした事前レクチャーには30社以上も来たそうですし、当日も入廷の1時間以上前からカメラの列が並ぶ加熱ぶり、現地夕刊締め切りは午後1時半ということで判決結果はギリギリ間に合います。そんな状況ですから記者たちの動きも激しく、その右往左往を眺めてあらためてこの裁判の重要性に思いを致していました。当然各紙とも当日(1/25)夕刊、翌(1/26)朝刊も一面トップもしくは逆トップ、社会面の関連記事や学者の解説などをつけてかなりのスペースを割いていました。
 ところが、東京にもどって知人と話してもどうも話がかみ合わない、何のことはない彼は判決のことなど全く知らないわけです。慌てて図書館で調べてみましたら、いわゆる三大紙、朝日・毎日・読売にはベタでも一行もなし。日経は社会面逆トップに小さく、東京は社会面ベタの少し上、産経は第2社会面の中段。ただし後者三社の記事はほぼ同じ(東京だけ溝口さんの記者会見のようすや、控訴の方針ということが付け加えてある)でおそらく通信社の配信記事と思われます。(1/26東京多摩版朝刊を比較) この落差をどうみるか。かりに原告の勝訴判決なら当然報道量はもっと多かったでしょう。しかし、渦中に身を置くものとしては、関西訴訟最高裁確定判決以降最初の水俣病関連裁判の判決であることや昨今与党PTによる「解決策」報道が喧しいことなど考えればもう少し解説も含めた丁寧な報道があってしかるべしと思うのです。昔日、川本輝夫さんが「不知火海でおこったことが東京湾でおこっていたならこの程度の騒ぎでは済むまい」と、中央による地方軽視を怒っていたことを思い出しました。
 しかし。むやみと慨嘆しても始まらない、こういう現実があるのだとあらためて認識しておくが必要でしょう。この「チエの話」の輪など本当に小さな広がりしかもてないかもしれませんが、辛抱強く続けていけば上からのネットワークに抗すことができるつながりを作っていくことができるかも知れません。そんな楽しみももっていきたいと思います。


○会計報告(2006/07/16〜2008/02/07) (鈴村多賀志)

 毎回貴重なカンパをありがとうございます。残念ながら控訴審となり、チエの話の発行も続けることになりましたが、今後もご支援をお願いします。

*収入
 前期より繰越       123,295円
 カンパ(振込手数料差引額) 298,935円
 収入合計         422,230円

*支出
 通信費(チエの話15〜19、ハガキ) 124,200円
 書面・資料のコピー、送料     11,488円
 横浜合同会議(注)         6,360円
 雑費               11,045円
 支出合計            153,093円

*残高  422,230−153,093=269,137円

(注)2007/05/19に横浜で会場を借りて、原告も招いて東京・熊本合同事務局会議を開きました。費用は原則として参加者で負担しましたが、一部会計から出費しました。

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