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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2008/12/04

チエの話 (ちえのわ ) (その23)

○次回 第5回口頭弁論
 2009年3月9日(月)15:00〜 福岡高裁501号法廷
 門前集会14:30〜 福岡高裁前
 裁判終了後にも報告集会を予定しています。

○原田正純証人反対尋問  鈴村多賀志

*認定審査会が水俣病診断を独占
 11月17日に被控訴人(被告・熊本県)側による原田正純証人への反対尋問がありました。15時から始まった法廷には約40人の傍聴人が参加して、原田証人の証言を見守りました。
 最初の尋問者(赤谷圭介)は、原田証人の意見書(チエさんの家族を検診した結果からチエさん本人も水俣病と診断できる)に関連して、「原田証人はチエさん本人を診ていないのに水俣病と診断できるのか」「同じ家族内でもメチル水銀の摂取量は異なるし、個体差もあるのではないか」「チエさんの診断書を書いたS医師は、水俣病を診ることができたのか」等、なぜチエさんを水俣病と診断したのか、と質問をしてきました。
 これに対して、原田証人は「通常は患者を診ていないのに診断するのはおかしい。しかし水俣病は環境汚染、食物連鎖でおきた病気。地域、家族が同じ物を食べたという前提がある。地域や家族の汚染状況を調べることが有効となる」「またチエさん本人については、S診断書や家族の証言、県の検診所見(眼科、耳鼻科)も参考にした」「当然、個体差との関係はあるということは認める。しかし本件については感覚障害ありという医者の診断書がある」「S医師は水俣現地で開業していた医師である。少なくとも感覚障害はちゃんと診ている。医師が署名捺印をしたものを信用しなくてどうする」と答えました。
 そして「S診断書も『病名不詳』としているではないか」との質問には、「病名は審査会がつけるという水俣病の特殊事情があった。(証人自身も)水俣病とは書かなかった」と水俣病の診断権を審査会が独占していた問題を指摘しました。

*迫力を欠く被控訴人の尋問
 2番目の尋問者(平野朝子)は「神経精神科(原田証人)と神経内科があるが、感覚障害は神経内科が専門ではないか」「S医師は神経内科の専門教育を受けていたのか」と、県の常套手段である『専門』性を問題にしてきました。
 これに対して原田証人は、まず神経内科はちょうど水俣病の頃に神経精神科から分離した歴史の浅いものであることを説明した上で、「感覚障害は総合判断であり、感覚障害のあるなしは医学生でも診断できる」と答えました。
 そして「武内・衞藤先生の末梢神経障害説が間違いだというその根拠は何か」という尋問には、「長いこと末梢神経がやられるというのが定説であった。病理の医者に言われれば反論ができない。しかし、それでも疑問は残った。例えば、末梢神経障害では腱反射が無くなるのが普通だが、水俣病患者では無くならない人が多かった。また症状の変動が激しかった。病院で診た時と家で診た時と違う。病状が動くのが水俣病だという冗談もあったほどだ。このため感覚障害だけの水俣病というのは理論的にはあるが、感覚障害だけではあてにならないとされてしまった」。そして「武内・衞藤説は感覚神経と運動神経という全く違うものを比較して、感覚神経に障害有りとしていた」と末梢神経障害説が誤った原因を指摘しました。その上で「感覚障害が重要だという意見は間違っていない。水俣病は感覚障害がベースである」と感覚障害の重要性を強調しました。
 県側代理人の尋問は、報告集会で「県の代理人には水俣病の現実についての実感がない」と感想が出るほどあっさりしたもので、1時間程度で終わってしまいました。

*政治的な認定要件
 残りの1時間は控訴人(原告)側の東、山口両弁護士による補充の尋問となりました。
 まず両弁護士が、三嶋功・元熊本県認定審査会長でさえその水俣病申請の診断書には「病名不詳」としか書かなかったこと。S医師は市立病院勤務時代に三嶋医師の下にいたことがあり、診断書の書式は三嶋医師にならっていることを確認しました。
 ところで山口弁護士が再度、民間の医者は審査会に遠慮して診断書に「病名不詳」としか書かず、それが積極的に水俣病を否定している訳ではなかったことを確認しようとしたところ、裁判長が制して「誰もそんなこと(病名不詳の記載が水俣病を否定している)思っていませんよ」と発言しました。これには県側も反論ができず、県側がS診断書の「病名不詳」を根拠にチエさんの水俣病罹患を否定しようとした目論見は見事に失敗した形となりました。
 また水俣病症状の責任病巣について「運動失調は小脳、感覚障害は大脳」であり、運動失調がみられず感覚障害だけの場合に水俣病と認めないことは「水俣病を狭く捉えることになる」と証言しました。
 そして審査会委員も結局他人の検診結果で判断をしており、「通常の医療診断とは違うことを理解しなければわからない」。同一家族内でも申請時期によって認定状況に差があり「社会政治的な問題。最初にちゃんと実態調査をしていれば、こんな不公平は起きなかった。手を挙げた人だけを診ていた。チッソ従業員の家族や漁業組合役員の家族など事情があって手を挙げなかった人もいた。何か医学的な基準があった訳ではない。申請が遅れた責任が患者自身に負わされている」と本人申請主義と審査会運営の問題点を改めて指摘して証言を終えました。
 私たちは、この審査会審査の実態を明らかにするために、原田証人に対する再尋問と野村瞭(元熊本県首席医療審議員)氏の証人尋問を申請しています。証人の採否は次回口頭弁論で検討される予定です。

○申請者をニセ患者扱いする被控訴人準備書面
 11月17日の反対尋問に先立つ第3回口頭弁論(10/20)に合わせて、県側の第1準備書面が提出されました。その内容は、ほとんどが第1審の最終準備書面をそのままコピー&ペーストしたようなものでした。曰く、S診断書は信頼できずチエさんには水俣病様の病状は認められない、病院調査が遅れた原因は患者側の集中検診に対する抗議行動にある、昭和52年判断条件は“専門家”によって支持されている、等。
被控訴人第1準備書面
 この中で保健手帳受給者について「環境保健行政の推進という観点から実施されているものであって、必ずしも『水俣病にかかっている』ことを交付の要件とはせず」と述べています。これは保健手帳受給者はニセ患者だと言わんばかりの言いぐさです。関西訴訟最高裁判決で県・国の責任を断罪されたことの認識もなく、その判決を受けてやむなく保健手帳受付を再開した経過も無視したものです。
 私たちは、この許し難い県側準備書面を粉砕する準備書面も急ピッチで作成中です。今後も皆さんのご支援ご協力をお願いいたします。

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