トップ > チエの話一覧 > チエの話30
溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2010/11/15

チエの話 (ちえのわ ) (その30)

○次回 第12回口頭弁論
 2010年12月14日(火)13:10〜福岡高裁
 中村政明氏に対する控訴人側(患者側)の反対尋問
 門前集会12:40〜 福岡高裁前
*法廷後の報告集会も予定しています。

○第11回口頭弁論報告   鈴村多賀志

<環境省の代弁者>

 10月14日に被控訴人(熊本県)側の医学証人である中村政明氏に対する、被控訴人側の主尋問が行われました。
 中村証人は現在、国立水俣病総合研究センター(国水研)綜合臨床室長という立場にいる人物です。国水研は環境省の組織です。この裁判では環境省は直接の訴訟相手ではありませんが、判断条件や検診方法など環境省の施策も争点の一つですので、県と環境省とは一体と考えるのが自然です。公平な医学証人の装いをしても、現実は環境省の代弁者になることは、14日の弁論前から十分予測されたことでした。

<意見書の作成は環境省>

 その予測が的中したのが、冒頭のやりとりでした。中村証人は、チエさんは水俣病ではなかったという意見書(以下中村意見書)を提出していました。中村意見書冒頭には「熊本県から本訴訟での争点について意見を求められたため、神経内科専門医として、それに答える形で本意見書を作成することとした」と述べています。
 しかし、証言ではこの中村意見書を作成したのは「環境省の担当の方」であったことが明らかになりました。
 この証言を聞いた傍聴席では一瞬「え?」という雰囲気につつまれました。「担当の方」とは誰なのか、何の担当なのか。神経内科の専門医なのか、でなければ中村意見書の提出の前提そのものが無意味になってしまうではないか。
 本当に医学者としての良心に基づいて証言できるのかということさえ疑われる、証言でした。

<水俣病ではないことが前提の鑑別診断>

 中村証人は、チエさんの感覚障害の原因として、腎障害や多発性脳梗塞の可能性を挙げています。その根拠としてチエさんの残された資料から、関連する症状の記録を選択して並べています。しかし、肝心のチエさんのメチル水銀暴露については、ほとんど考慮されていません。
 チエさんは1899(M32)年に神ノ川に生まれ、1920(T09)年に結婚して1977(S52)年に死亡するまで南袋というメチル水銀の濃厚汚染地域で生活をしていました。
 しかし中村証人は、チエさんの孫の1962年出生当時の毛髪水銀値(16ppm)から、チエさんには水俣病を発症させるほどのメチル水銀の暴露はなかったと証言しました。16ppmという値自体、日本人の平均値と比べると数倍高いものですが、1962年という一時期のデータのみをもって、それまでの10年以上のメチル水銀暴露の歴史までも否定しようとしています。
 加えて中村意見書では、溝口家が農家であったから魚を多食していなかったと述べ、当時の水俣の生活実態を全く無視した意見を述べています。法廷後の集会でも、裁判傍聴者から、水俣のことが何も分かっていないという意見が相次ぎました。
 メチル水銀暴露歴がある不知火海沿岸住民に、水俣病の初期症状である四肢の感覚障害が生じたときに、最初に水俣病を疑うことを、中村証人は「独善的な前提」と批判します。中村証人の意見を基にすると、不知火海沿岸は腎障害や多発性脳梗塞の多発地域になりますが、そのおかしさについては触れません。
 結局、中村証人の証言は、チエさんが水俣病ではないことを前提としたときの、他疾患の可能性をあげつらっているだけでした。
 チエさんの申請時には、中村証人が主張するほどチエさんの腎障害が重篤だった、という証拠はないのです。中村証人さえも「水俣病は完全に否定できないものの」と言わざるを得ない状況なのです。そうなってしまった原因と責任を問うために提訴した裁判なのです。

<1977(S52)年判断条件を堅持>

 またチエさんの水俣病罹患を否定する理由として、チエさんには運動失調や視野狭窄が確認されていないと述べました。
 しかしチエさんの場合は、それらの検査自体をまともにしていないのです。チエさんは必要な検査を全て行った結果として、四肢の感覚障害しかなかったという事例ではなく、県の懈怠・放置によって四肢の感覚障害を示す資料しか残されなかったという事例なのです。
 中村証人の四肢の感覚障害のみでは水俣病と認めないという主張は、結局1977年判断条件に合わなければ認めないという主張です。
 今年7月16日のFさん訴訟判決(大阪地裁)やチッソ水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)を正面から否定しています。国・熊本県がFさん訴訟控訴の理由としてあげている御手洗訴訟も1977年判断基準に基づいて鹿児島県認定審査会から認定棄却を受けた人を、水俣病と認めた裁判であったことを思い出すべきです。
 四肢の感覚障害は水俣病の初発症状であり、最後まで残る症状です。水俣病の最も基本的な症状と言えます。四肢の感覚障害しか症状の現れない水俣病患者がいることは、今や井形、衞藤といった国・県側の医学者でも認めているところです。その四肢の感覚障害を軽視することは、水俣病像の理解を歪めます。中村証人自身の今後の研究もそういった人々が対象の中心になっていくはずです。それとも認定患者のみを集めて「認定水俣病像」を作るという、過去の過ちをまだ繰り返すつもりなのでしょうか。

<太地町の調査について>

 今回の証言では、中村証人も参加した太地町の住民調査についても触れました。中村証人は太地町では毛髪水銀値が50ppmをこえても水俣病の症状は現れなかった、毛髪水銀値129(139の誤り?)ppmの人も元気に自転車を乗り回していました、と証言しました。
 私たちは、その歴史や背景を無視して一時期の表層のデータのみをもって話をする姿勢に、強い違和感を感じます。水俣は人ばかりではなく猫やカラスさえも狂い死ぬという、濃厚汚染を経験した地域です。太地町ではそんな話は聞いたことがありません。メチル水銀で弱ったイルカが浮いたこともありません。
 そして不知火海沿岸では、今でも3万人をこえる人々が四肢の感覚障害を訴えているという事実を、どう説明するつもりなのでしょうか。中村証人は医療手帳・保健手帳受給者を何だと考えているのでしょうか。
 また当然ですが、太地町でも調査目的を被験者に説明をして、検診等の調査をしています。このことからも、二宮証人等の御所浦や北浦調査に対して、被控訴人側が調査の目的を被験者に知らせるとバイアス(偏見、思い込み)がかかる、と執拗に批判しているのは、何の根拠もない単なる言いがかりであることが分かります。

<反対尋問は12月14日に大法廷で>

 12月の口頭弁論(患者側の反対尋問)は大法廷で開かれることになりました。是非多くの方が傍聴に参加されるようお願いします。

トップ > チエの話一覧 > チエの話30