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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2011/01/15

チエの話 (ちえのわ ) (その31)

○次回 第13回口頭弁論
 2011年2月28日(月)13:30〜福岡高裁
 裁判の進行協議
 門前集会13:00〜 福岡高裁前
*法廷後の報告集会も予定しています。

○第12回口頭弁論報告   鈴村多賀志

 12月14日は被控訴人(熊本県)側の医学証人である中村政明氏(国立水俣病総合研究センター(国水研))に対して、山口弁護士による反対尋問が行われました。

<腎障害の主張が崩れる>

 中村証人は、その意見書や証言で、チエさんの四肢の感覚障害は尿毒症(慢性腎不全)に由来するものだと主張していました。中村証人の描くストーリーは、チエさんがS医師の診断を受けた1974年には既に腎機能が悪化しており、その1年後に尿毒症性の脳症による意識消失で入院して透析を勧められたが、透析治療をしなかったため、そのまま1977年に尿毒症で死亡した、というものでした。
 ところが、チエさんは意識消失で入院した僅か9日後に熊本県の検診(耳鼻咽喉科の予診)を受けていたのでした。その後、死亡するまでに計4回の眼科と耳鼻咽喉科の予診、検診を受けています。この間、透析を受けたことはありません。もし中村証人が言うような重篤な腎障害であったならば不可能なことです。また、検診記録にもそのような記載は残っていません。
 最初にこの指摘を受けた時、中村証人は何のことだか分かりませんでした。中村証人は、チエさんが入院後に県の検診を受けていたことを知らなかったのです。中村証人の描いたストーリーは崩れ、尿毒症性脳症による意識消失を撤回せざるを得ませんでした。

<平野・被控訴人代理人の強弁>

 S医師は、水俣病以外の可能性も厳しく診ていました。チエさん以外の申請者の診断書を見ると、必要な時には肝機能を検査し尿所見をとり、またレントゲンを撮ることもありました。そして「患者さんの症状で、明らかに水俣病以外のものがあるときには、私はその病名を明確に記載しています。<中略>従って当時、私はチエさんには、診断書記載以外の特別重篤な病気・症状は確認していません」と陳述しているのです。
 実際のS医師の診断書や陳述書を示しながら、山口弁護士がチエさんには尿毒症や頸椎症が認められていない事実を確認しようとした時、突然、平野氏が立ち上がり、この「確認していません」という文章からは「ないことを確認した、とは読めない」と発言しました。これには山口弁護士もビックリ、傍聴席も唖然となりました。前述のようにS医師は、水俣病以外の病気がある時にはその病名を明記すると陳述してます。それなのに可能性のある全ての病気について、いちいちこれはなかった、と挙げていかなければ認めないというのは、通常の常識に照らしても、言いがかりと言わざるを得ません。平野氏は法廷ならばこんな主張も通ると、本気で考えているのでしょうか。

<中村証人は曝露に関する資料を見ていない>

 水俣病の診断をする時には、メチル水銀曝露の状況を考慮することが重要であることは、中村証人も認めています。
 しかし中村証人はチエさんが暮らしていた家がいかに海に近い場所であったか、周辺の家々から、認定患者だけでもどれだけ多くの水俣病患者が発生していたかを具体的には知りませんでした。そして、この裁判に先立つ行政不服審査では、チエさんのメチル水銀曝露は認められていたことも、中村証人は知りませんでした。
 また一審段階で既に提出され、もはや周知となっている日本精神神経学会の3つの意見書も読んでいないことも明らかになりました。
 中村証人はチエさんや不知火海沿岸の住民に関するメチル水銀曝露に関する資料は、ほとんど見ていなかったのです。にも拘わらず、溝口家が農家だったから魚は多食していない、と当時の水俣地域の生活状況を全く無視した主張をしていたのでした。

<チエさんのメチル水銀曝露は否定できず>

 チエさんをはじめ、チエさんが存命だった頃に溝口家の体内水銀濃度が測られたことはありませんでした。唯一、チエさんのお孫さんの出生時の体毛水銀値(16ppm)が分かっているだけです。中村証人は、この値を根拠にして50ppm以下では水俣病は発生しないと証言していました。
 しかし、長期微量汚染の問題はひとまず置くとしても、これはお孫さん出生時(1962年)の一時期の値に過ぎません。チエさんや家族がメチル水銀に汚染され続けた期間は、数10年に及ぶものです。劇症患者が頻発していた1950年代のことは何も分かっていません。中村証人も、最後にはチエさんについてはわからない、と認めました。

<中村証人の主張は可能性の羅列>

 S診断書が作成された頃に、もしチエさんが尿毒症や多発姓脳梗塞であったならば、それまでに腎不全や脳梗塞に伴う様々な症状が発症していたはずです。この点について中村証人は、所見が無いことをもって可能性を否定することはできない、と述べて何か具体的な証拠があるわけではないことを認めました。
 そのいい加減さが端的に表れたのが、感覚障害の原因についての証言です。最初中村証人は、尿毒性のものと頸椎症に伴うものという全く異なる原因について、その可能性は5分5分である、と証言をしていました。これは、原因については分からない、と言うのと同意語です。
 慌てた県側の補充尋問で、尿毒性の方が高いと言い直しましたが、何とでも言える程度のものであったことを露呈した形になりました。

<国水研の姿勢を示す太地町調査>

 反対尋問では、国水研の行った和歌山県太地町調査についても追及をしました。
 問題としたのは、四肢末梢優位の感覚障害が見つかった住民について、2点識別覚検査や腱反射が減弱しているという結果から、末梢神経障害であるから水俣病ではない、と結論づけたことについてです。
 これは、水俣病の感覚障害の病巣は末梢神経と中枢神経の両方だとする、これまでの国・県の主張とは矛盾します。この矛盾を指摘されると中村証人は「水俣病の病変というのは主体は中枢だろうと思うからです。それに一部抹消神経の関与が少しもある」と苦しい言い訳で取り繕い、感覚障害の病巣は中枢神経であること、そして「病初期」という条件をつけながらも感覚障害のみの水俣病があることも認めました。
 太地町調査に関する尋問では、国水研の姿勢が如実に表れていることも明らかになりました。
 中村証人は、上記の住民は糖尿病だろうとしているのですが、血糖値を測ることもせず、詳しい原因の究明をしていません。水俣病が否定できた段階で、診断を止めてしまったのです。水俣病が否定できればそれでよし、とする国水研の姿勢は、環境省の下部組織としても医療機関としても厳しく批判されなければなりません。

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