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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2011/03/28

チエの話 (ちえのわ ) (その32)

○次回 第14回口頭弁論
 2011年5月23日(月)13:30〜福岡高裁
 門前集会13:00〜 福岡高裁前
*法廷後の報告集会も予定しています。

 今回の東日本大震災で被災された方々に対して、心からお見舞い申し上げます。
 しかし一方で、福島原発事故に関する政府の発表には真実を伝えようという意志が見られません。放射能漏れについて、曝露時間を考慮せずに最初は胸のX線撮影の1/10と言っていたのに、各地で平常値以上の放射線量が測定されると、CTスキャン(CTスキャンの方が胸部X線撮影より3桁大きい)程度だと言い出しました。農畜産物から暫定規制値を超えた放射性物質が検出されると「直ちに健康に影響が出るわけではない」と繰り返し、最初に出てきた施策は、例によって“自主規制”です(その後、多少変わったようですが)。いったい暫定規制値とは何のために設定しているのでしょうか。
 水銀やダイオキシンの曝露について各地訴訟で見せている環境省の態度にどうしても重なってしまいます。原発事故による汚染がこれ以上広がらないことを祈るばかりです。
 また計画停電は、私たち首都圏(東京電力)で享受している電力は、東京電力管内ではない福島県民の大きな負担の上に成り立っていることを改めて痛感する経験となりました。

(文責 鈴村)

○第13回口頭弁論報告    鈴村多賀志

<また裁判長交代?>

 2月28日の口頭弁論は、控訴人(患者側)、被控訴人(熊本県)双方の書面・証拠を確認すると、いきなり裁判長から次回弁論の期日についての打診がありました。驚いた山口弁護士が「次回は何をするんですか」と訪ねると、「裁判所の構成が変わるかもしれません」との返答でした。結局28日は何も決めず、わずか3分で法廷が終了しました。
 山口弁護士の説明では、次の裁判長の自由裁量を縛ることになるので28日は何も決めなかったのだろう、とのことでした。裁判も終盤になり、せっかく双方の医学者の証言を聞いた裁判長が代わってしまうことには納得がいきません。
 しかし裁判長が代わろうとも、私たちのやるべきことには変わりはありません。28日には中村証言を踏まえた第60準備書面を提出しましたが、より詳細にチエさんの水俣病罹患を立証する書面も準備中です。

<控訴人第60準備書面>

 主に中村証言尋問の結果をまとめました。中村証人も水俣病の感覚障害は大脳皮質の障害が原因であることを認めており、実際に自らが参加した和歌山県太地町の調査では、大脳皮質障害に基づく鑑別診断を行っています。
 チエさんの水銀曝露については、チエさんが生涯を過ごした袋地区は水俣病患者の多発地区であること、現に溝口家の家族・親族もほとんどが各種の手帳を受給しており、チエさんのみが水銀曝露から逃れていたなどとはとうてい考えられないと主張しました。熊本県(行政不服審査)や中村証人も、これを否定する根拠を持ち合わせていないことを指摘しました。
 またチエさんが死亡するまでの経過を見れば、腎障害によって感覚障害が発症したほどチエさんの腎障害が重篤であったことを示す根拠・証拠は全くありません。さらに県と中村証人の主張は、死亡する直前にチエさんが県の認定検診を受けられる健康状態であった、と言う決定的な事実を見落としていたことを指摘しました。
 そして、チエさんの感覚障害は水俣病によるものであることが必要かつ十分に立証できているとまとめました。
 最後に準備書面の後半では、もう一つの争点である棄却処分の手続きの違法性を明らかにするために、野村瞭(元熊本県首席医療審議員)証人の採用を要請しました。

<被控訴人第4準備書面>

 熊本県からも準備書面が提出されました。しかしその内容は、従来の主張をまとめたアリバイ的なものでした。県側証人の中村証人の尋問調書さえも、具体的にはほとんど引用していません。中村証人の水俣病に関する経験・実績についても、国立水俣病総合研究センターに勤務している以上のことは言っていません。
 最も許せないのは、この段階になってもチエさんには感覚障害そのものがなかったと主張している点です。それもその理由では、自分たちが検査をしていない=感覚障害がない、と言うすり替えをしているのです。それでいてS医師の診断書に感覚障害が記載されていることについては、S医師陳述書の言葉尻をとらえて信用できないと主張しています。しかし県側がS医師に求めた陳述書でも、S医師がチエさんを診察して感覚障害を認めたことは否定できていません。そもそもチエさんに感覚障害が無かったとするならば、チエさんは腎障害の末期症状であったという中村証言も根底から崩れます。
 不知火海沿岸住民にメチル水銀曝露に関するデータが不足しているとすれば、それは国や県が悉皆調査をしてこなかった、また現在でも拒否をしていることが全ての原因です。調べていない=事実がない、というすり替えはここでも使われています。
 チエさんの水銀曝露状況に関連しては、チエさんの孫の毛髪水銀値(1962年当時)が唯一残っているだけです。県はこの値を使って、チエさんの水銀曝露は低かったと主張しています。しかしこの一時期のデータのみで、チエさんが水銀汚染地区で暮らした78年間(特に汚染のひどかった1950年代)を説明することには無理があることは、中村証人も認めています。
 またメチル水銀に対する感受性には個人差があると言いながら、ではチエさんの感受性はどうだったのか、県は言及することができません。
 この第4準備書面を読むと、県は患者側が提出する資料や証拠には難癖をつけるだけで、自分たちの主張を裏付ける根拠・証拠は何も持ち合わせていないことが判明します。
 県は第2準備書面(2009年5月)あたりからS52年判断条件の位置づけを変えてきています。それまでは「医学的知見に基づいた診断基準」と主張してきたものを「医学的概念を取り込んだ規範」と言い変え始めています。要は県が認めた人のみが「公健法上の水俣病」だという主張なのですが、この第4準備書面ではより強く出ています。これはS52年判断条件の医学的な妥当性が維持できないことを自覚してきた悪あがきに他なりません。
 そしてS52年判断条件は広くコンセンサスを得られていると県側は繰り返しますが、公式確認から50年以上を経た今でも病像を争点として裁判が続いているという事実一つ取ってみても、コンセンサスなど大嘘であることが明らかです。

 控訴人第60準備書面、被控訴人第4準備書面は下記のホームページに掲載中です。中村証人の証言録とあわせて是非ご一読ください。
 3月24日現在では裁判長交代の情報はありませんが、その可能性は高いと考えられます。ですから5月23日の口頭弁論では傍聴席を満杯にして、新しい裁判長にこの裁判の社会的重要性を認識させることが重要になります。是非多くのみなさんの参加をお願いします。

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