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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2011/06/14

チエの話 (ちえのわ ) (その33)

○次回 第15回口頭弁論
 2011年7月4日(月)13:30〜福岡高裁
 門前集会13:00〜 福岡高裁前 法廷後の報告集会も予定。

○第14回口頭弁論報告    鈴村多賀志

<これまでの審理経過を無にする熊本県(被控訴人)>

 5月23日の口頭弁論から新たに足立正佳・右陪席(前宮崎地裁)と石山仁朗・左陪席(前鹿児島地裁鹿野支部)の両陪席の裁判官が代わりました。西謙二・裁判長は残りましたが、なぜ裁判も終盤になったこの時期に、証人たちの生の声を聞いた裁判官たちが交代をするのかと思います。チエさんが死亡直前に熊本県の認定検診を受けていたことを指摘されたときの、中村政明証人(県側医学証人)や県側代理人の慌てぶりなどは、調書の活字には表れませんが、大切な“証拠”となったはずです。
 法廷では、最初に山口弁護士が、後述の第61、62準備書面の概要を説明しました。県側は、チエさんに四肢の感覚障害があることを前提にした証人(中村氏)を尋問しながら、最新の書面(県側第4準備書面)は、その感覚障害の存在そのものを否定し、中村証言とさえ矛盾することなどを指摘しました。そして医学論(チエさんを水俣病と認めるべきか否か)は、一応区切りがついたとして、手続瑕疵(チエさんの棄却処分の仕方が適切であったか否か)の審理に入るべきであり、野村瞭氏(元熊本県首席医療審議員)を証人採用すべきと主張しました。
 これに対して県側は、「中村証言は、前裁判長から、チエさんに四肢の感覚障害があったことを前提にした証人を、と言われ、その指示に沿って準備をしたまでで、県はチエさんには感覚障害がなかったという主張を撤回した覚えはない」と意見陳述しました。
 繰り返しますが、県はチエさんに対する感覚検査を行っていませんので、感覚障害の存在を否定する根拠はありません。また自ら申請した中村証人の証言の前提さえも否定することは、これまで積み重ねてきた審理経過を無に帰するものであり、許される態度ではありません。

<またも結論を持ち越す>

 双方の意見を聞いた裁判長は、「終結の前に1回弁論を入れます」「野村証人の採否は次回に回答します」と発言しました。これは裁判長が次々回に結審することを示唆した、とも受け取れる発言ですが、この裁判長の指揮には納得しがたいものがあります。
 何の進展もない口頭弁論が、これで2回続いたことになります。患者(控訴人)や傍聴者はその度に、仕事を休み時間を作って福岡まで来ているのです。事前に何らかの連絡があってもよいのではないでしょうか。
 野村氏の証人採用について、裁判所の準備ができていないなら、素直にそう説明するべきです。そうすれば当事者は、次回までにそれなりの準備ができるのです。
 東北・北関東大震災の影響で、裁判所の人事異動が玉突き状態でまだ定まっていないとの情報もあります。しかしそれにしても全て事後連絡という姿勢では、裁判に訴えざるを得なかった患者の困難を思い、社会正義を迅速に実現する判断ができるのか不安になってきます。裁判所が期日を先送りしたのですから、3人の裁判官は、数々の証拠や尋問調書をよくよく吟味して、7月4日には野村証人の採用を決定をすることを期待します。
 今回の口頭弁論に応じて、2つの準備書面と意見書(津田意見書)を提出しました。

<第61準備書面 中村証人の不誠実、不的確な証言>

 まず中村氏が、この裁判の証人となること自体が不適切であることを主張しました。
 そもそも中村氏は、チエさんの病状の経過を正確に把握していませんでした。しかも県の認定検診を受けていたことも忘れていたのです。生前の生活状況や、チエさんが暮らした南袋の水俣病患者の発生状況(メチル水銀による汚染状況)も把握していませんでした。国立水俣病総合研究センター(国水研)に勤務しながら、関係現地(南袋)へ行ったことがないというのは、水俣病医学の研究者として論外です。
 チエさんの感覚障害の原因についても、最初は尿毒症性(腎不全)と頸椎症性とで五分五分であると証言しておきながら、後にこの発言に慌てた県側代理人に指摘されて尿毒症性を強調し直しました。そして、チエさんの腎不全はどんな状態であったのか、についての証言もはっきりしません。つまり自らの意見書では、S診断書作成時(1974年)には精神症状もきたした重篤状態(5段階でステージ5)としていたのに、法廷ではステージ4の段階と証言し、また、その1年後に県の認定検診を受けたときの状態については、ステージ4と言ってみたり5としてみたり、2転3転します。
 結局、自分でも確証を持っていないから証言が混乱するのです。
 次に津田意見書を基にして、中村氏が不誠実な証言をしていたことも指摘しました。例えば、和歌山県太地町調査の国水研の報告書について、実際には行っていない統計処理を中村氏はやったと証言したこと。非メチル水銀曝露地区における四肢末梢の感覚障害の有症率を「数%」と表現することは、行政側の調査結果を基にしても不適切であること指摘しました。太地町報告書に関する中村氏の証言は、自ら関わった調査の報告書さえもまともに読んでいないのか、それとも私たちや裁判官は素人だとタカをくくっているのか分かりませんが、いずれにしても不誠実な態度です。

<第62準備書面 第4準備書面への反論>

 まず皮切りに、前頁でも述べました中村証言と第4準備書面との矛盾・齟齬を指摘しました。 そして国・県が繰り返し「52年判断条件はコンセンサスが得られている」と主張していることについて、何をもって「コンセンサスが得られたと」言うのか、その定義も不明確であることを指摘しました。そして「コンセンサス」を得られたとする時期について、控訴審の第1準備書面までは1985年の医学専門家会議で得られたと主張していたのに対し、第4準備書面になると、1977年の成立時に既に「コンセンス」が得られていたような論調になってます。これはなし崩し的に「コンセンサスを得られている」という印象を植え付けるイメージ戦略でしかありません。さらに第1と第4の間の、第2準備書面では、52年判断条件の法的位置づけが前後の準備書面と矛盾していることを指摘しました。
 県側は、チエさんの処分が遅れた原因として、1974年の杜撰な県の集中検診に対して患者側が抗議行動を行ったことや、民間医の診断書は信用できないと主張しています。
 しかし、この抗議行動とチエさんの処分手続の遅滞と何の関係があるのか、民間医診断書のどこが何故信用できないのか(例えばS医師診断書も含めて)、具体的な根拠は全く挙げていないことを指摘しました。

<次回は7月4日>

 第61、62準備書面と津田意見書は、下記のホームページに掲載する予定ですので、一読して熊本県の主張の不当性をご確認ください。
 また、7月4日には傍聴席を満席にできるよう、是非みなさんの参加をお願いします。

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