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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2011/07/19

チエの話 (ちえのわ ) (その34)

○次回 第16回口頭弁論
 2011年10月24日(月)<結審>13:30〜福岡高裁
 門前集会13:00〜 福岡高裁前 法廷後に報告集会を予定。

○第15回口頭弁論報告    鈴村多賀志

<野村瞭証人は不採用、結審は10月24日>

 第15回口頭弁論は7月4日に開かれました。当日までに野村証人は出廷して証言する意欲がある、という本人の上申書を提出していました。しかし開廷するとすぐに西謙二・裁判長は「野村瞭証人の調べは必要ない、と判断しました」と発言して、野村証人の不採用と次回の結審を決定しました。傍聴者から、不採用の説明はないのか、という感想が聞かれましたが、確かになぜ「必要がない」のか、その理由によっては最終準備書面への対応も変わってきますので、ただ結論のみで済ますのは不親切な対応だと思います。
 結審や最終準備書面の期日が、淡々と決められていくなか、一度だけ被控訴人(熊本県)側代理人が最終準備書面の期限について「結審日の10日前なのか、10月14日なのか」と確認をとろうとすると、西裁判長が「10日前、具体的な日にちを言いましょうか。24日から1、2、3・・・9、10で、14日」と、被控訴人を小馬鹿にしたような態度をとり、傍聴席からは失笑が漏れたことがありました。度重なる被控訴人の不誠実な対応に裁判官も辟易していたのではないでしょうか。

<法廷後集会から>

 法廷後、福岡市立青年センターで1時間ほどの報告集会が開かれました。
 山口弁護士からは、裁判長の腹はもう決まっている控訴審は勝てる、との心強い観測が示されましたが、会場からは予断や油断は許されないという意見が続きました。また、控訴審では手続論(チエさんの水俣病認定を棄却した手続過程の瑕疵・違法性を問う)の審理がなされなかったことについても含めて、様々な意見が出されました。最終準備書面の作成とは、これまでの主張を整理する作業であり、判決後になっても次に続く人々が利用できるようなものにしてほしい、という意見もありました。
 この裁判の意義について、原告の溝口秋生さんが裁判提訴から言い続けてきたことが2つある。1つはチエさんのお孫さんのことで、チエさんの裁判ではあるが、ともに水俣病と認められない現状を打開するものであること。そしてチエさん1人だけではなく、同じく未検診のまま死亡した人々を代表する闘いであることを、もう一度確認しようという発言がありました。
 法廷外の活動について、この裁判でどのようなやり取りがなされ、何が明らかになったのか、裁判内容を公開して、裁判官がいい加減な判決文を書かないよう広く市民が後押しするような運動をしていきたい、という発言もありました。また福島原発事故では、今まさに御用学者を動員した放射能曝露の被害実態の矮小化など、水俣がかつて経験した被害者切り捨て施策が進められようとしています。原発問題に取り組む人々とも連携することも提案されました。

<最終準備書面に向けて>

 法廷後集会でも議論となりましたが、控訴審では処分までの21年間にわたる放置や、恣意的・不適切な手続過程についての審理がなされませんでした。よって最終準備書面でこの点について補充しなければなりません。
 52年判断条件は医学的にはもちろん行政処分の基準としても間違っていること、そもそも未検診死亡者に対しては前提が異なること。病院調査の放置は環境庁(当時)と熊本県で協議合議した政策であったこと。控訴人側(患者側)には何の落ち度、責任はないこと等です。
 また国・県の主張には、水俣病の歴史を歪めようとする記述が目立ってきています。52年判断条件の位置づけや、1974年の杜撰な県の集中検診に対して患者側が抗議行動を行ったことの原因などについてです。他の裁判では、従来到底主張し得なかった、すべきではなかった内容すら言い始めています。(次項参照)
 このような状況を踏まえて、最終準備書面は冗長とならないようにしなければなりませんが、必要な反論はしておかなければなりません。


○各地の裁判状況       鈴村多賀志

 この1年の間に、各地で闘い続けている裁判でも大きな動きが続きました。
 公健法による水俣病認定を求めて行政訴訟を起こしていた2つの裁判では、Fさん訴訟が昨年7月16日に認定を義務付ける勝利判決を得ました(大阪地裁)。また熊本県は、本年7月6日付けで川上さん夫妻を水俣病患者と認定しました。いずれもチッソ水俣病関西訴訟の勝訴原告であり、申請から30年以上にもおよぶ長い闘いを貫き、水俣病認定を勝ち取ったことに敬意を表し、おめでとうございますと言いたいと思います。一方で2004年に最高裁で厳しく断罪されながら、未だに患者主治医の診断書の採用拒否と52年判断条件の維持に固執して、今日まで川上さんたちの水俣病認定を先延ばしにしてきた国・県の姿勢に改めて怒りを感じます。
 Fさん訴訟は国・熊本県側が控訴し大阪高裁で審理中ですし、川上さん夫妻がどのような形で裁判を終結させるのかは、まだ聞いていませんが(7/12現在)、後に続く人々に大きな橋頭堡を築いたと言えると思います。
 もう一つ今後の水俣病問題の展開に大きな影響を与える裁判がIさん訴訟です。チッソ水俣病関西訴訟の勝訴原告で、勝訴後に熊本県から水俣病と認定されたIさんに対して、チッソは裁判で補償済みとして補償協定の締結を拒んでいます。裁判所(大阪地裁、大阪高裁)もチッソの言い分を丸呑みした判決を下しています。Iさんが裁判を起こさざるを得なかった全ての原因は、認定制度が破綻したことですが、大阪高裁判決では、チッソにはその責任はないと判じてます。これはとうてい納得できません。補償協定書には「チッソ株式会社は、これら潜在患者に対する責任を痛感し、これら患者の発見に努め、患者の救済に全力をあげることを約束する」と明記されており、チッソは加害者として国の施策にとらわれずIさんたちを掘り起こし補償する義務がありました。もちろん認定制度破綻の責任はIさんには、全くありません。
 補償協定は裁判では認容しきれない部分を補うために、患者が命がけで交渉した成果です。「本協定内容は、協定締結以降認定された患者についても希望するものには適用する」という補償協定書の条文を否定する法的根拠はありません。現に裁判ではありませんが、一度チッソと和解(1995政治決着)した人が、その後水俣病認定を受けて、改めて補償協定書を結んだ事例があります。ところが大阪高裁は、この歴史的背景を立証しようとした証人を採用せず、実質審理をせずに判決を下しました。さらに判決文には、第1次訴訟判決(1973年)で公序良俗違反と断罪された1959年の見舞金協定さえも、何の批判もなく登場させています。大阪高裁判決にはチッソが加害者だという視点が全く欠落しています。
 Iさんは最高裁に上告しました。最高裁は早急に審理不十分で高裁に差し戻すべきです。
 水俣病被害者互助会訴訟(熊本地裁)も来春までに証拠調べを終える見通しです。チッソの分社化問題も含め、今年末にはまた正念場を迎えます。各地の裁判弁護団や支援者とも情報交換や連帯をしながら、闘っていきたいと思います。今後も皆様のご支援ご協力をお願いします。

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