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チエの話38
溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2013/03/24
*最高裁判決 2013年4月16日(火) 第3小法廷 溝口訴訟15:00〜 Fさん訴訟16:00〜 南門集合14:00(予定) 当日の判決後にはFさん訴訟とともに環境省交渉、報告集会。翌17日には熊本県交渉を予定しています。詳細・具体的な予定については、後日お知らせします。 |
○3月15日 最高裁口頭弁論 鈴村多賀志
3月15日、溝口訴訟第3小法廷は、水俣病認定を求めて闘っているFさん、溝口さんの両訴訟で口頭弁論を開催しました。
口頭弁論はFさん訴訟は13時半から、溝口訴訟は15時半からの予定でしたが、11時過ぎには傍聴希望者が南門前に並び始め、両訴訟とも、傍聴を求めておよそ100人が並びました。
一般傍聴席は48席しか用意されませんでしたが、集まっていただいた方々の協力によって、遠方から駆けつけた方々を優先するなどの配慮を、スムーズに行うことができました。
ここに改めて、皆さんのご協力に感謝します。
<市民による最高裁への要請文>
この口頭弁論に先立って、市民団体や両弁護団が呼びかけた要請文とこれに賛同する署名が、代表の細谷孝氏によって、最高裁に提出されました。
水俣病事件に対して歴史の審判に堪え得る判決を出すよう最高裁に求めた要請文には、330名の方々に賛同をいただき、対応した職員によって、担当裁判官に渡すことが約束されました。
裁判官は、この市民の声を誠実に受け止めるよう期待します。
<上告人 熊本県の口頭弁論>
溝口訴訟では熊本県が上告しているため、先に陳述をはじめました。
曰く、S52年判断条件は「今でも合理性を有する審査基準」であり、これによって「迅速」な認定がなされる。そして、本審査は「52年判断条件に不合理な点がないかどうか」「認定審査会の調査審議及び判断の過程に過誤・欠落があったか」「行政処分庁の判断に不合理な点がないか否か」という観点から行われるべきだが、福岡高裁判決は、チエさんが水俣病かどうかについて、多岐にわたる事項を総合的に検討し判断していると批判しました。
しかし、上告人自身は、一審以来、チエさんついて具体的にどのような審理をしたのか全く明かにしていません。また認定申請から処分まで21年間も放置しておいて「迅速」とは、あきれた主張です。
福岡高裁はS52年判断条件について、また当時の認定審査の状況について、詳しく審理をした上で判断をしており、県側は判決文をまともに読んでいるのか疑いたくなる主張でした。
また、現実に認定棄却をされたチエさんの認定を求めているのですから、チエさんが水俣病であったか否かの争点を全く避けて、正しい裁判審理が成立するとは思えません。
そして最後には「(公健法)の制度的枠組みの中で救済できない者がいることを前提として各種行政的救済策」や特措法が制定されていると主張して、まるで52年判断条件で棄却した患者に対して恩恵的に救済の手を差し伸べてやっているのだ、かの如き居直った陳述をしました。
<被上告人溝口秋生さんの口頭弁論>
溝口さんは、チエさんが生涯を不知火海沿岸で暮らし、家族と共にメチル水銀に汚染された魚介類を多食していたこと。チエさんが死亡した後は、毎年命日の前後に進行状況を熊本県に問い合わせていたのに、毎回「検討中」とウソをつかれていたことを話しました。
しかし熊本地裁では、溝口さんの言うことが全く認められず、最初は驚きがっかりしたが、逆に、こんな判決を許していたら、自分が言ってきたことが全部うそになってしまうと思い直して、控訴を決意したことを訴えました。
ようやく福岡高裁の勝訴判決によって、自分の言うことを信じてもらえた、街中を胸を張って歩ける気分になった。この高裁判決を変えることは許されない、と陳述しました。
最後に、「あまりにも長すぎた。早く裁判を終わらせてください」と締めくくりました。
<被上告人側 山口弁護士の口頭弁論>
山口弁護士は、公式発見から57年も経つのに、何故未だに、このような裁判を続けなければならないのか。それは、チッソの原因隠しに始まり、1959年の見舞金契約、1995年政治決着、そして2009年の特措法と、チッソと国・県が結託して水俣病患者の切り捨てを続けてきたから。これを修正するのは、最高裁がS52年判断条件を否定するしかない。さらに、上告人は、伊方原発訴訟最高裁判決を引用するが、そのような態度では3.11の惨事を防げなかったことが、今日明らかになっている、と陳述しました。<懸念される最高裁の訴訟指揮>
実は、山口弁護士の陳述は、当日までに提出していた弁論要旨とは大きく異なるものでした。○上告取下署名の提出の報告とお詫び
最高裁上告取下署名は、熊本県への第1回目の提出を本年1月21日に行いました。最高裁の展開が予想以上に早く、この提出行動の報告をする機会を逸しています。
しかし、県の公金を使って上告している裁判なのに、その訴訟方針さえ県民に明らかにせず、住民の悉皆調査も拒否するその姿勢は、単に溝口訴訟だけでなく広く県の水俣病施策全体に問題を残すものでした。
よって今後、この行動についても詳しく報告する機会を作りたいと考えています。
まず報告が遅れていることに、お詫びいたします。
○原田正純さん、宮澤信雄さんを偲ぶ
昨年亡くなれた原田正純さん(6月)、宮澤信雄さん(10月)には、溝口訴訟も多大なご支援・ご協力を頂いていました。
原田さんには控訴審の証言や意見書で、チエさんが地域・家族ぐるみでメチル水銀に曝露していたこと、チエさんは水俣病であったことを立証していただきました。
宮澤さんには上告審第2答弁書の中で、行政の施策が欺瞞と弥縫の歴史であったことを解説することを、お願いしたのが最後となりました。
お2人のご支援を得て、ここまで辿り着くことができました。改めてご冥福をお祈りするとともに、微力ながらもお2人のご遺志を受け継ぎ前に進みたいと思います。