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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2014/3/15

チエの話 (ちえのわ ) (その43)

*環境省の新通知に対して差し止めの仮処分、訴訟を提訴。

○新通知に対する「仮の差し止め」と「差し止めの訴え」 平郡 真也

 環境省は、3月7日午後1時30分、水俣病認定基準に関する通知を発出しました。私たちは、環境省の通知発出に厳重に抗議するとともに、52年判断条件および通知の撤廃を求めます。

 通知の第1の問題点は、作成過程においても、内容においても誤っており、現行の認定基準である52年判断条件の間違いを正すのでなく、むしろ間違いを強めるものだという点です。環境省は、52年判断条件とこの通知により、さらなる患者切り棄てを狙っているのは明らかです。
 第2の問題は、患者側が通知の差止めを求める裁判を起こし、審理が続いている最中なのに、環境省が司法手続きを無視し通知発出を強行したことです。
 第1の点は、別稿で詳しく述べている通りですので、ここでは第2の点に関連し、通知差止めを求める裁判の経過と今後の展開について述べたいと思います。

 本年1月に、環境省の通知案の内容が分かり、溝口訴訟最高裁判決を無視して、52年判断条件の違法性をより強化するものであることが判明しました。そこで、この通知の発出を阻止するために起こしたのが、通知の「差止めの訴え」および「仮の差止めの申立て」です。
 耳慣れない裁判名ですが、いずれも平成16年に行政事件訴訟法が大改正された際に新設された訴訟制度で、行政庁が処分を出した後に争ったのでは回復し難い損害をこうむるのを避けられない場合に、処分が出る前にその処分の差止めを認めるものです。特に、「仮の差止め」は、緊急の必要性があるときに認められます。
 ただし、入口のところで、問題にしている行政の行為が原告の権利義務に直接影響を及ぼすので処分性があることや、その行為により重大な損害が生ずることなど(=訴訟が適法であるための要件)を原告が立証しなければならず、これらの要件をクリアしなければ、裁判所は内容に立ち入った判断を示しません。その場合は、いわば門前払いになってしまいます。

 2月4日、互助会訴訟原告団長の佐藤英樹さんを原告(申立人)、溝口訴訟・互助会訴訟の代理人である山口弁護士を代理人とし、東京地裁に国・熊本県を相手取り、通知の作成・発出・受理をしてはならないと「差止めの訴え」(=本案訴訟)及び「仮の差止めの申立て」を提起しました。
 まず、仮の申立てについての審理が始まり、相手方(国・県)は、2月19日付で意見書を提出。通知は行政機関内部の運用指針であり、申立人が差止めを求める通知の発出等は、行政機関相互の内部行為にすぎないから、処分性は認められない、よって本案訴訟は不適法だから、仮の申立ても不適法である、と主張しました。
 これに対し、申立人(佐藤さん)側は、2月28日付で第1準備書面を提出。相手方の処分性についての解釈は、平成16年行訴法改正の趣旨を踏まえない時代錯誤の主張であること、最近の最高裁判例は、行政のひとつの行為をシステム全体の中に位置づけその機能を認定することにより処分性を拡大する方針であること、通知が出されいったん通知に基づく認定審査が始まると、申請者の適正に審査・認定される権利が侵害されるのは明らかだから、最高裁判例に従えば通知発出は単なる行政機関内部の行為ではなく処分性が十分にあると主張しました。
 また、申立人は水俣病に罹患しているにもかかわらず、通知による審査では認定申請が棄却される可能性が高いため処分の取消訴訟を提起せざるを得ない、しかし、そうなれば長期間の年月と過大な負担を余儀なくされ、しかもその間症状は悪化し適正な補償を受けることはできず、重大な損害を受けることも合わせて述べました。
 東京地裁は、双方の主張をきいた上で、3月7日午後、佐藤さんの申立てを却下するとの決定を出しました。通知発出は差止めの訴えの対象である処分には当たらないから本案訴訟は不適法であり、仮の申立ても不適法であるというのが却下の理由です。通知の内容には全く触れない門前払いでした。しかし、今後は差止めの本案訴訟の審理が始まります。

 実は、環境省が通知を出したのはこの決定が出る約2時間前。環境省は、近々裁判所が決定を出すことを知っていながらそれを待つことすらしなかったのです。環境省が司法権を無視・侵害する姿勢は露骨であり、まさに行政の一部門の暴走と言わねばなりません。
 私たちは、今後も、52年判断条件および通知の違法性を明らかにし、これらの撤廃を求めるために、差止めの本案訴訟等の法的手段の活用、また様々な行動に取り組んでいきます。


○水俣病の歴史、現状、司法判断を、ことごとく否定する環境省新通知

 3月7日の環境省通知は、2004年と2013年の最高裁判決や、これらによって確定した大阪高裁判決(2001年)、福岡高裁判決(2012年)、さらには国の行政不服審査会の裁決(2013年10月)をもことごとく否定するものです。水俣病被害者が負ってきた歴史を無視し、認定現場にさらなる混乱をもたらすものです。

<不可能なデータを要求>

 新通知では、申請者に汚染当時の血中や尿、臍帯のメチル水銀値のデータを要求しています。 劇症型のみが水俣病と言われ、正しい水俣病像を知らされなかった当時に、自身の体内メチル水銀値を検査をした人がどのくらいいたでしょうか、また半世紀以上も前のデータが残っている人がどのくらいいると言うのでしょう。新通知は、申請者に不可能を要求しています。
 汚染当時の曝露を証明するために「客観的資料」を要求する環境省ですが、正しい水俣病情報を知らされていなかった住民が、将来の認定のために自ら「客観的資料」を揃えていた、などということが考えられるのでしょうか。
 メチル水銀曝露に関する「客観的資料」が残っていないのは、国・熊本県が未だかつて、まともな住民調査をしたことがないことに、全ての原因があります。溝口訴訟でも、病院調査を放置し医学資料を散逸させた責任を、熊本県はチエさんに押しつけようとしました。
 住民の「客観的資料」を集めるのは、住民調査を拒否し続けている国・熊本県側の責任です。
 この問題については、前述の大阪高裁判決で、「曝露を受けた水銀量については、曝露直後の毛髪などが採取されていないから毛髪水銀量の検査によることはできないところ、そのことににつき原告らには何の責任もない。したがって、今となっては、住居期間、魚介類の摂取量などについては原告らの陳述(本人尋問、陳述書など)によるしかない。」と明記しています。

<漁業関係者のみが魚を多食する?>

 また、漁業従事者が「魚を多食することになりやすい職業」と記述しており、言外に漁業関係者でなければ魚を多食しないと言いたげです。
 しかし、昭和30年代、例えばチッソの職員だったら肉食が主体だったと言うのでしょうか。ちょっと常識を働かせれば分かる話です。
 豊かな漁場に恵まれていた不知火海沿岸の食文化について一顧だにしない、霞ヶ関の机上の空論以外の何ものでもありません。

<メチル水銀曝露から発症までは1年?>

 新通知では、水俣病が発症する時期はメチル水銀曝露から半年から1年程度であり、水俣湾周辺の高濃度汚染は1969年には終了しているとしています。つまり1970年以降に水俣病患者が発生することはない、と言うことになります。
 まず、新通知が根拠としている1991年の中央公害対策審議会答申は、環境省(当時環境庁)のお手盛りによる医学的根拠のないものであることが分かっています。
 さらに発症時期の問題は、当の中公審答申でも数年後に発症が把握された事例があることが報告されており、さすがに新通知でも無視をすることはできず、言い訳程度に触れています。
 法的には2004年の最高裁判決において、曝露停止から4年、ということが確定しています。
 なお、曝露の停止時期についても科学的な根拠があるわけではありません。1968年にチッソからの垂れ流しは止まりましたが、海に広がったメチル水銀が、不知火海やそこで生きる魚介類から撤去されたわけではありません。
 また実際には、地域全体、家族ぐるみで汚染されていた状況では、感覚障害について他人と比較し自覚することができず、その発症時期については本人でも分からないことが多く、福岡高裁判決でも「メチル水銀のばく露と症状の発生の関係は明らかではなく、発症の時期とそれが判明しあるいは診断される時期とが一致するわけではないことや、チエの四肢末端優位の感覚障害のように、いわゆる慢性の症状に分類されるものであり、本人が自覚しにくいものであること、そして、それらの時期に関する認識が正確なものかも定かではない場合があることなどを併せ考えると、チエの四肢末端優位の感覚障害の発症が、メチル水銀のばく露との関係で矛盾があるということはできない。」と正しく判示されています。

<未検診死亡者の医療機関資料について>

 未検診死亡者(認定審査に必要な検診を終えないうちに死亡した。チエさんの事例)の場合に参考にする民間医療機関の医学資料について、新通知では、申請者が一定期間以上かかりつけだったことを条件としています。
 これは、福岡高裁の判断に真っ向から対立するものです。
 S医師は、チエさんを1度見て、認定申請用の診断書を作成しました。
 福岡高裁は、このS医師の診断書について、水俣現地で開業を続けてきたS医師が地域の状況を長年見てきていたこと、また水俣医師会や熊本県による水俣病の研修も受けていること、現に熊本県が水俣病の調査資料を作ったときにはS医師の協力を得ていたこと、等の理由をもって、例え1回だけの診断であっても、その診断書は信用できると判断しました。
 そもそも申請時の診断書は、申請者の症状を確認するだけですから、通常の医者であれば十分作成できるものです。
 新通知の条件は、申請者はウソをつき医者はそれを見抜けない、という差別・偏見に満ちた考えが根底にあります。
 一方で環境省は、水俣に行ったこともない、水俣病患者を一度も診たことのない「医学者」を裁判法廷に送り込み、実際に患者を診た医者の診断書・意見書に難癖をつけてきます。
 環境省の役人は、水俣現地で実際に患者を診てきた医者よりも、水俣へ行ったこともない「医学者」の方が正しい診断ができると考えているのでしょうか。中央官僚の地域蔑視の思想が端的に表れている通知です。

<過去の認定審査の見直しについて>

 新通知では、わざわざ「留意事項」をつけて、過去の認定審査について見直す必要はないと明記しています。
 過去の認定審査の実態については、福岡高裁では「適切でなかった」と指摘されたうえ、行政不服審査会にいたっては「杜撰」とまで言われています。特に福岡高裁では「水俣病が主に中枢神経を傷害するものであるにもかかわらず、審査会のカルテには、中枢神経に障害があるかを判断する上で必要な複合感覚の診断結果を記す欄がなく、検診でも、大脳中心後回の障害を示す複合感覚の検査は行われておらず」「52年判断条件が、メチル水銀の経口摂取により末梢神経の障害を来すものと理解されて運用されたことなどにより、中枢神経傷害説により認定されるべき申請者が除外されていた可能性は否定できず」と検診方法にも不備があり、その検診結果の理解を認定審査委員が間違っていたことを指摘しています。このため本来認定されるべき申請者が棄却されてきたことを、具体的に糾弾しているのです。
 また、熊本県からは過去の認定作業に関する「実績」情報が挙げられていると言っています。私たちも指摘していますが、チエさんやFさんと同様の条件でありながら棄却された人がいることが分かっています。
 環境省・関係県は直ちに指摘された課題を改善して、過去の認定申請の見直しをすべきです。

<密室での画策>

 患者や市民の再三の要求にもかかわらず、環境省は、新通知を作成する過程を一切明らかにせず、密室で作業を進めてきました。
 2013年の最高裁判決では、認定とは「客観的事象としての水俣病のり患の有無という現在又は過去の確定した客観的事実を確認する行為であって、この点に関する処分行政庁の判断はその裁量に委ねられるべき性質のものではないというべきであり」と、行政が恣意的に認定基準を決めることを厳に戒めています。
 また、「個々の患者の病状等についての医学的判断のみならず、患者の原因物質に対するばく露歴や生活歴及び種々の疫学的な知見や調査の結果等の十分な考慮をした上で総合的に行われる必要がある」とも述べて、狭く県の検診で得られた臨床症状のみにて判断することも、否定しています。
 よって、「総合的検討」の内容を議論するにあたっては、こと医学的知見に限らず、広く知見を集めることが必要となっていたはずです。
 しかし、環境省は審議会や検討会等を開くこともなく、特殊疾病対策室職員の数名のみで最高裁判決の歪曲化を画策していただけです。
 その結果、新通知で示された唯一の根拠は、1991年の中公審答申だけです。そこには、環境省の組織である国立水俣病総合研究センターの研究実績や、環境省が毎年予算をつけている「委託研究」の結果さえも利用検討した痕跡も一切ありません。熊本県が挙げていた情報というのも、どう反映されたのか、どこから過去の認定審査の見直しが必要ないという結論が出てくるのか、熊本県に対してもどんな「実績」の情報を挙げていたのか問わなければなりません。
 水俣病に限らず、医学研究や社会学の進歩や知見の集積に伴い、病像や認定制度が見直されていくのは当たり前のことです。まして、水俣病の現状を打開することができず、司法からも、何度も批判され続けている制度を維持することなど論外です。
 新通知は、国が水俣病の加害者だったことが確定した2004年以前に、歴史の針を戻すことを企むものです。(文責:鈴村)


○公害健康被害補償行政不服審査請求の闘い

 2004年のチッソ水俣病関西訴訟最高裁判決では、50数名の人が水俣病と認められました。しかし、そのうち行政認定された原告は、僅か6名しかいません。しかも、そのうちFさんは最高裁まで裁判を闘い続けた結果、ようやく行政認定を勝ち取ったのです。
 現在でも、行政認定を求めて国の不服審査請求を闘っている関西訴訟の勝訴原告がいます。
 2014年1月22日に、大阪でこの不服審査請求の口頭審理(裁判の口頭弁論にあたる)が開かれました。
 この口頭審理の冒頭で、熊本県側は「今まで何も間違っていなかったし、今後も何も変えるところはない」、と宣言したそうです。
 2013年4月の最高裁判決、10月の公害健康補償不服審査会裁決を受けてなお、これが熊本県の認識、発言です。もちろん、その後ろには環境省がいます。
 国民の目がとどきにくい場所では、国や熊本県は、臆面もなくデタラメを続けています。
 私たちは裁判活動に限らず、行政不服審査での患者の闘いも、連帯して応援していきたいと思います。今後も多くのご支援をお願いします。

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