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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2014/8/17

チエの話 (ちえのわ ) (その46)

(1)水俣病食中毒調査義務付け訴訟 第2回口頭弁論
 10月24日11:00〜 東京地裁 原告意見陳述の予定
 弁論前後の行動予定については、決定次第お知らせします。
(2)新通知差止め訴訟 8月8日東京地裁が不当な門前払い判決

○8月1日水俣病食中毒調査義務付け訴訟第1回口頭弁論報告

 被告国・熊本県が提出した答弁書(8月1日付)は、訴訟技術に関する主張のみでした。
 これに対して8月1に開かれた口頭弁論では、山口弁護士が、水俣病は現実に生きている人間の問題であると、厳しく批判しました。

<訴訟技術論に終始する国・熊本県答弁書>

1.食中毒調査・報告の「処分性」とは
 答弁書では、国民がこの種の行政訴訟を提起するためには、その行政行為が「国民の権利義務を形成したり、その範囲を確定する」ことが必要であるとしています。
 これを「処分性」と呼んでいます。
 そして、食品衛生法に基づく食中毒調査とは

「中毒の原因となった食品等及び病因物質を追及するために必要な疫学的調査や食中毒患者等の血液等についての微生物学的若しくは理化学的試験又は動物を用いる調査にすぎない。すなわち、食衛法58条2項に基づく調査は、当該食中毒患者等を食中毒患者として認定などするものではなく、また、当該調査によって国民との間で何らかの権利義務関係が生ずるなどといった効果はないから、何ら国民の権利義務を形成したり、その範囲を確定するものではない」

と主張します。
 保健所から熊本県への報告については(熊本県から厚生労働大臣への報告についても同じ)、

「保健所長が都道府県知事等に対して食中毒事件の発生や調査の実施状況を報告するものにすぎないから、正しく行政機関相互における内部行為にすぎず、直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定する効果を何ら伴うものではない」

と主張しています。
 つまり、この食中毒調査とは、自分たちの勝手な施策のために実施するものであって国民の生活とは直接関係ない、と言っているのです。
 食品衛生法に基づく実態調査や販売禁止等の措置は、彼らの自己満足のためにあるのではありません。これらの措置を通じて食品の安全を確保し、公衆衛生を図り、国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法25条)を実現するために法定化されているのです。食品衛生法に定める義務が果たされないということは、国民の最も基本的な生存権が侵害されるということに、彼らは思い至らないようです。
 厚生労働省とは何を目的に設置されている省なのでしょうか、自分たちの存在意義さえ忘れた主張だと言えます。

2.違法確認の訴えの利益がない?

 この訴訟では、行政が法定化された義務を58年間も拒否・放置していることが、違法であることの確認も求めています。
 しかし、国・熊本県の答弁書は

「行政の行為それ自体を違法確認の対象とすることは許されず、違法な行政の行為等によって生ずベき負担や義務がないことの確認を求めるなど、公法上の法律関係に関し確認の利益が認められる場合に初めて確認の訴えが適法になるというべきである」「また、原告が、本件当事者訴訟に係る訴えによって、食衛法58条に基づく調査、報告及び食衛法60条に基づく調査報告要請との関係において、いかなる意味で、原告と被告らとの間において公法上の法律関係が存在すること及びこれに基づいて生ずる権利義務の存否、法的地位の有無の確認を求めるのか何ら明らかにしていない」

と述べ、佐藤英樹さんには中毒調査と法的関係が認められず、原告適格性がないと主張します。

3.現実の被害に向き合おうとしない答弁書
 国・熊本県は公健法に基づく認定(環境省所管)と食品衛生法に基づく食中毒調査(厚生労働省所管)とは関係がないと言いたいようです。
 しかし、食品衛生法に基づく悉皆調査が実施されないため必要な医学データが蓄積されず、メチル水銀汚染の規模・範囲も解明されずに、根拠のない認定基準が策定されているのです。
 また、悉皆調査の代わりに本人申請主義が持ち込まれることによって、申請者なし=患者なし、と言うごまかしがまかり通っています。

 次記事の新通知差止め訴訟にも共通していますが、いわゆる入口論で門前払いをして、彼らの無策・放置が水俣病被害をいかに増大・混乱化させているかという実態は争点にしないようにしようとしています。
 しかし、法定化されている調査をしてこなかったのは厳然たる事実であり、訴状(ホームページに掲載しています)でも具体的に指摘しているため、さすがに国・熊本県も全く無視はできなかったようです。これらの事実(訴状では「請求の理由」)に対する認否や彼らの主張の準備書面を、10月17日までに提出するそうです。
 国・熊本県がどのような主張をしてくるのかは不明ですが、彼らが食中毒調査を拒否・放置し続けている結果として、水俣病の現状があることを厳しく追及していきたいと考えています。

<山口弁護士意見陳述>

 山口弁護士は、当日の意見陳述で、この国・熊本県の答弁書は、抽象的な技術論であると厳しく糾弾しました。
 以下に陳述書から一部を引用します。

 ところが被告等は、今回の答弁書でも、原告の請求は、処分性がない、確認の利益がない、という極めて技術的な点のみで、反論をしています。
 しかしこれは法治主義と憲法上の国民の権利を全面的に否定するものです。
 被告等の反論は、水俣病に対する調査を、極めて抽象的に捉えて、保健所長は食中毒事件があれば、調査し、県に報告する、県知事はそれを厚生労働大臣に報告する、大臣は知事に対して調査、報告を命ずる、と捉え、描いているのです。
 これが被告等の欺瞞の手法であると、私は発見しました。
 そうではないのです。 1954年水俣病激発地である水俣市袋に生まれた汚染魚介類を幼児期より今日に至るまで摂食してきた原告・佐藤英樹を、本来は保健所長が、1956年に食品品衛生法で調査し、中毒を認め、佐藤英樹をその他の同時期発症した患者と共に熊本県に報告し、熊本県知事は、佐藤英樹をその他の同時期発症した患者と共に大臣に報告し、大臣は佐藤英樹をその他の同時期発症した患者と共に県知事に更なる調査・報告を求めねばならなかったのです。
 即ち被告等は、食品衛生法の調査と報告は、行政官庁内部の指示に過ぎないと言いますが、具体的原告・患者を中心に考えて見ますと、同法の調査・報告により、患者は国から同法上、公衆衛生法上、憲法上、法的にも社会的にも食中毒患者・水俣病と認められ、治療・救護の権利を認められる効果が現実に発生しますから、被告等の主張は詐術にしか過ぎません。
 冒頭人間主義を私が言いましたのは、このような関連性があり、裁判所に被告の詐術に乗らぬように求めるためなのです。
(以上、代理人冒頭意見陳述書より)

 そして、意見陳述の冒頭では、民事訴訟が口頭弁論を審理の原則としているのは、当事者である人間の存在が裁判の一番の価値であり、裁判は人間が人間を裁くものであることを、国民・市民が傍聴する場で確認することである、と述べ、法廷で当事者が意見陳述することの意義を強調しました。

 この訴訟の担当裁判官は、次記事の新通知差止め訴訟と同じですので、この訴訟でも入口論で門前払い判決を出す可能性があります。
 弁護団では次回の口頭弁論でも、現実に生きる人間の問題であることを、裁判官や国・熊本県にも確認させるために、原告と弁護士の口頭での意見陳述を準備しています。
 是非多くの方々の傍聴参加をお願いします。(文責 鈴村)


○8月8日 新通知差止め訴訟不当な東京地裁判決

 2014年8月8日、東京地方裁判所民事第38部(谷口豊裁判長、横田典子裁判官、下和弘裁判官)は、3月7日に発出された新通知の差止めの訴えを却下する判決を下しました。
 口頭弁論を一度も開くこともなく、「訴えの適法性」という法廷技術論によって却下(門前払い)するという不当なものです。

<環境省の最高裁解釈を鵜呑み>

 新通知に関する事実認定において判決文では

「(溝口訴訟、Fさん訴訟最高裁判決)において、水俣病の認定審査における総合的検討の重要性が指摘されたことを受け、環境省は、これまでの認定審査の実務の蓄積等を踏まえて、昭和52年判断条件にいう総合的検討の在り方を整理した上、関係各都道府県知事及び政令市市長に対し、今後の公健法に基づく水俣病の認定審査における指針とするため、本件通知を作成し」

と述べています。
 まず、上記の2つの最高裁判決が、52年判断条件を実質的に否定したことを、全く抜け落としています。また「総合的検討」については、上記の最高裁判決は柔軟な運用を求めており、運用方針に申請者が実行不可能な枠をはめることなどは、一言も要求していません。
 「52年判断条件を前提とした総合的検討の具体化が必要」、などというのは、環境省と熊本県の勝手な歪曲です。
 まして患者切り捨てを続けてきた「過去の実判決に違反するものであることは、明らかになっています。

<処分性の考え方>

 そして、このような新通知の問題には触れず、新通知やこれに基づく認定審査の「処分性」、つまりこれらの行政行為が「国民の権利義務を形成するか否か」の議論になります。
 新通知については

「個々の認定申請者との関係では、関係各都道府県知事又は政令市市長が本件通知を踏まえてその水俣病認定申請に対する認定又は棄却処分をした場合に、その時点で初めて認定申請者の権利義務に直接影響を及ぼす行政処分がされるに至ると解される。そうすると、本件通知は、行政機関相互における内部行為にすぎず」

同じく、認定審査会の審査についても

「しかしながら、県知事が、公健法4条2項の認定を行うに際し、認定審査会の意見を尊重することが多いとしても、公健法の規定上、県知事が行う上記認定が認定審査会の意見に拘束される関係にあるということはできないし、認定審査会の認定審査という事実行為も、県知事が行う上記認定の意思決定過程における内部行為にとどまり」

いずれも

「直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定する効果を伴うものではない」

と結論づけています。
 知事による最終の認定棄却処分のみが行政事件訴訟法にいう「処分」に当たるのであって、そこに至る通知や審査過程は「処分」ではないという考え方です。そして新通知の持つ拘束性についても、「公健法の規定上」県知事の認定処分が拘束される関係にない、と述べています。
 この通知や認定審査会に対する判決の認識は、条文しか見ない机上の論理です。過去37年間にわたって52年判断条件によって、認定審査や知事の処分が拘束され、1万人以上の申請者が棄却切り捨てられてきた事実を全く見ようとしていません。既に新通知によっても、4人の申請が棄却された現実があるのです。

 原告側は新通知の「処分性」を判断する考え方として「メカニズム解釈」を主張しました。
 これは今日のように複雑化した社会においては、行政活動も数多くの行政の行為(諮問や通知、勧告等)の組合せにより一つのメカニズム(仕組み)が形成されているため、各行政行為が一連のメカニズムの中で持つ意味と機能を把握しなければその行政行為の「処分性」は正しく判断できない、と言うものです。
 このメカニズム解釈が、2004年行政訴訟制度改革の趣旨であり、具体的な最高裁判例(病院開設中止勧告事件等)も挙げました。
 しかし判決では、この指摘について、上記の最高裁判例が本訴訟に機械的に当てはめられるかどうを議論して、事案・条件が異なると却けただけでした。
 メカニズム解釈についての評価や、新通知が一連の認定作業の中で実際に持っている効果についての検討・考察はありませんでした。

<認定棄却されても不利益は課せられない>

 新通知によって原告が受ける損害については、

「仮に本件認定申請を棄却する処分がされた場合であっても、原告は、補償給付を受けることができないというにとどまり、これによって当該処分がされる前の状態に比して何らかの不利益を課されるものではない」

と判断しています。
 訴状でも述べていますが、公健法の認定を受けるということは、単に金銭補償を得るだけではありません。適切な医療行為を受け、例え完治せずとも現状を悪化させない、という大事な効果を生むのです。地裁判決は、水俣病患者として認定されることの意味が分かっていません。
 また、棄却処分を受けた後に、行政不服審査請求や棄却取消訴訟を起こせる、と言っていますが、行政不服や訴訟は申請者に過大な負担をかけるものであり、また長い年月の果てに最悪の場合には死亡してしまうことがあります。
 Fさんは最高裁判決の1か月前に亡くなりました。Fさんの無念は、谷口裁判長には伝わらなかったのでしょうか。

<新通知を撤回しても状況は変わらない?>

 そして最後に

「認定がされるまでに長期間を要し、過大な負担を余儀なくされること、あるいは補償給付を受けることができないことによる損害は、本件認定申請に対する認定がされない状況が継続することによって生じるものであるから、本件認定申請に対する処分の差止めにより本件認定申請に対する認定がされない状況を作出することによって救済を受けることができる性質のものではない」

と述べています。
 持って回った言い方ですが、要は新通知を撤回しても、申請者が切り捨てられている状況は変わらないではないか、と言っているのです。
 これは、明らかに居直りの理屈であり、国・熊本県の無策・失策を黙認するものです。
 口頭弁論を一回も開かなかったのは、行政の無策・失策を白日の下に明らかにしたくなかったのでは、とさえ勘ぐりたくなります。
 司法は、水俣病問題が公式確認から58年間を経た現在においても、未だに解決せず混乱している状況と原因を直視して、これを是正するよう勧告する責任を果たすべきなのです。

 東京弁護団事務局は控訴をして、この不当判決を正す方針です。(文責 鈴村)

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