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溝口訴訟弁護団東京事務局ニュース 2015/9/28

チエの話 (ちえのわ ) (その52)

(1)水俣病食中毒調査義務付け訴訟 第8回口頭弁論
  11月4日(水)11:00〜 東京地裁803号法廷
  *法廷後報告集会を予定しています。詳細は決定次第お知らせします。

○9月8日水俣病食中毒調査義務付け訴訟 第7回口頭弁論報告(鈴村)

<原告第7準備書面の概要>

 第7準備書面では、食衛法に基づく調査をしてこなかったことが、水俣病事件にどんな弊害をもたらしてきたのかを、主張しました。
 まず、水俣病患者の確認当時(1956年)に、食衛法に基づく広域な住民調査をしていれば、その後に続く12年間のチッソ水俣工場の排水放流を防止して、被害の拡大を防ぐことができたことを指摘しました。
 そして、被害地域住民の健康に関するデータを得ていないため、適正な水俣病像・判断基準を作ることができずにいます。逆に、そのことを利用して、不当不要な認定制度や、医学的根拠のない認定基準を作り、患者の切り捨て政策を続けています。
 その最たるものが、52年判断条件です。
 現に原告の佐藤さんには、より厳密な立証が要求される国家賠償訴訟では水俣病と認められながら、公健法では52年判断条件によって認定が棄却される、という逆転現象がおきています。
 もし、食衛法による調査が行わていれば、被曝露地域の住民全員が調査されるため、必要なデータが広範囲・多種に集められて、適正な水俣病像と判断基準が作られていたはずです。
 これによって、患者個人としても、水俣病患者か否かが、医学的・客観的に迅速に判断され、住民が自分が患者か否かという焦燥感や不安感を、何十年も持ち続けさせられるという事態にはなりません。ところが、現状の認定制度では、申請してから10年間も放置される事態が続いています。
 また、適切な病像や暴露地域範囲が設定されない結果として、水俣病特措法の場合では、対象指定地域以外の住民が、受給者として3000人も含まれていたという事実が明らかになりました。これは、水俣病特措法の制度設計に明確な誤りがあることを示すものです。
 2013年の溝口訴訟最高裁判決は、52年判断条件によって否定されていた故チエさんを、水俣病と認めた判決です。最高裁判決が52年判断条件や認定審査の運用を否定していることは、自明の理なのです。

 そして、以下の7項目の求釈明をしました。

1.国賠請求(注)の論点として(義務付け訴訟の審理としてではなくて)、52年判断条件を策定した、法的根拠と、医学的根拠を明示せよ。

2.国賠請求の争点として、原告が国賠訴訟では水俣病を認められ、認定制度では棄却されている齟齬の原因を明らかにせよ。

3.熊本県、鹿児島県、新潟県の、水俣病汚染魚介類曝露地域の特定、曝露住民数、患者数、死亡者数を、資料を付け明らかせよ。

4.国賠請求の争点として、被告らが現在も食衛法上の法定調査を拒否している理由を明らかにせよ。

5.食衛法の調査制度がありながら、遅滞・不正な認定制度と特措法制度を強行している実質的合理性を明らかにせよ。

6.国賠請求の争点として、過去の水俣病認定申請者の中で、症状の組み合わせがなかった者は、何人で、それは総申請者数の中で、何%に当たるか。

7.溝口最高裁判で被告らの敗訴が確定し、過去の水俣認定制度が明確に批判されたが、被告らは、その後、認定制度のどの点を、どのような改善目的で改革したのか。

(注)この訴訟では、食中毒調査義務付けとともに、原告への損害賠償も請求しています。

<原告第8準備書面の概要>

 新潟水俣病では、1965年5月に患者が確認されると新潟大学が中心となり、新潟県も巻き込み、横雲橋より下流の阿賀野川流域に対して、直ちに2回にわたる住民悉皆調査がされました。9月には厚生省(当時)に新潟水銀中毒事件特別研究班が組織されます。
 そして1年後の1966年3月には、熊本と同じ水俣病であること、その原因は昭和電工(以下「昭電」)鹿瀬工場の廃水であることを特定した中間報告書が出されます。
 特別研究班は更に調査研究を進め、1967年4月には「新潟水銀中毒事件特別報告書」を提出します。これによって、水俣病患者の存在と原因企業が確定しました。
 そして、同年6月に新潟水俣病患者たちは、4大公害裁判のトップを切って、昭電に対して損害賠償を提訴しました。
 ここにきて、政府もついに水俣病について、チッソ水俣工場、昭電鹿瀬工場による公害である正式見解(1968年9月)を発表せざるを得なくなります。
 それまで熊本水俣では、水俣病の原因は「不明」とされ、水俣病「公式確認」後12年間も、チッソは廃水を不知火海に垂れ流し続け、水俣病の被害を拡大化・深刻化させていました。
 今から見れば地域が限定されていたといえ、新潟では迅速な悉皆住民調査によって、水俣病による被害が明らかになり、患者も直ちに行動を起こすことができたのです。
 一方、熊本水俣病では、最初の裁判が提訴されるのは、1969年6月であり、「公式確認」からも13年の歳月が過ぎていました。
 被告(国、熊本県)は、悉皆住民調査を拒否することによって、どれだけの患者・被害者を放置・切り捨ててきたかについて、何も顧みようとはしていません。

<裁判長が被告に対応方針を要望>

 山口弁護士は、さらに、この間に申請者中の13人が亡くなったこと、9月8日に熊本県が30人の棄却者を出したこと等、水俣病事件は今も激しく動いている事件である。しかし、被告は2013年溝口訴訟最高裁判決を無視して、違法行政を強行している。また、疫学の重要性の観点から食衛法調査の必要性について、主張立証したいと発言しました。
 これに対して谷口裁判長は、まず被告に対して、これまでの原告の主張に被告国・熊本県はどのような対応をするのか、食衛法調査は義務付けられたものではない、という従前の主張のみで済ませるのか、と、対応方針を明確にして欲しいと要望しました。
 最初は被告らは、新たな書面の提出を渋っていましたが、裁判長の再三の要望に押され、10月27日までに準備書面の提出を約束しました。
 次回は、この被告準備書面を受けて、今後の進行方法が議論されることになります。


○津田敏秀氏も提訴

 9月7日に、岡山大大学院の津田敏秀教授を原告として、食衛法に基づく水俣病住民調査の義務付けと損害賠償を請求した訴訟を、東京地裁に提訴しました。
 津田氏は、2012年に上天草市と鹿児島県出水市で水俣病患者を診察し、各保健所に食中毒患者の確認を食衛法に基づき届け出をして、法定調査を要求しました。ところが、行政は何の対応もせず、今日まで放置しています。
 津田氏は、この水俣病事件の実態に危惧と重大な不正を感じ、水俣病患者20万人の悲惨な放置と取り扱いを糺すために、本訴訟を提訴したと訴えています。
 よって、この訴訟の被告は、国、熊本県、鹿児島県になります。
 原告側では、佐藤さんの訴訟との併合を望みましたが、認められず、当面は2つの訴訟が同時進行します。初回の口頭弁論は、12月になる予定です。
(鈴村)

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